答志島の後


>>fare.well to 答志島 !
これは素直な気持ちだった。
この息苦しさでは、もう島へ来ることもできなかろう、と。
>>また来るからね。
これは、希望を残すためにも自然と出てきた言葉。
このまま終わっちゃうんじゃ寂しい、という気持ちで。
だが、
「ガンの長期生存者に唯一共通するのは歩き続けたこと」という柳原和子さんの言葉を信じて続けていた散歩さえ、息苦しさでできなくなってしまった。


こんなに苦しいのに、次の診察予定日まで受診しなかった俺はいったいどうしたんだろう?
もう正常な判断ができなくなっているんだろうか?
生死に係わることなのに。それとも、
”大往生したけりゃ医療と係わるな”と言った京都のN医師の言葉が頭の隅にあったのか?
でも、こんなに苦しんでりゃ大往生なんかできない。
緊急に排液処置されて出てきた胸水は1.8L。排液処置中に呼吸がどんどん楽になっていくのが分かった。1時間弱の処置でとりあえずは生き返った。外科的処置は現代西洋医学の得意とするところと聞いていたが、これほどまでとは。それに比べて抗がん剤の世界はどうなっているんだろう?  そこに、保身と利権にまみれた原子力ムラと共通する構造を垣間見てしまうのは考えすぎだろうか。


数日後の夜、枕元を十三夜の月明かりが照らす。
呼吸もずいぶんと楽になった。
こんな夜は早く寝てしまったらもったいない。
カーテンを開け放ち、月明かりを部屋いっぱいに入れて、布団の中でボーッと物思いにふける。
よく通った近鉄後在所山の家の、蚕棚のような部屋で毛布に包まりながら、同じように月を眺めたことが思い出される。
あれから50年経ったんだ・・・・
ムニャムニャ・・・・・
自転車、もっと乗りたいよぉ・・・・
ムニャムニャムニャ・・・・・