(備忘録)旧中仙道徒歩の旅−3 (ステージ3下諏訪宿から江戸日本橋へ)

諏訪湖は我が家から遠く、ここからの旅は一人旅が多くなりました。JIANTのクロスバイクが帰りの足としてがんばってくれたものです。碓氷峠を越え坂本宿から東京寄りは、ビルの谷間を車とともに歩くことが多くなり、「こんな町歩きに意味があるのか?」と疑問を抱きながら歩きました。


【2005-7-17 下諏訪宿和田峠(単独)】
前夜、みどり湖PAにて車中泊。ここは標高1000m、夜トイレに起きて外へ出ると涼しかった。翌朝、諏訪ICで降り、和田峠へJIANTのクロスバイクをデポし、諏訪大社に戻った。
諏訪大社の駐車場に車を置き出発。標高1000mを越すとはいえ、真夏の国道歩きは辛い。そんななか、中仙道は2回目という78歳の御老人とすれ違った。
国道142が新道と旧道に分かれる手前から旧中仙道は山道となる。刈り込みもされてないので夏草がうっそうと茂っていた。あまり利用されてない様で、踏み跡が薄い部分もあった。和田峠も近くなったと思う頃、辺りでがさがさと草が揺れる音がした。また熊さんのお出ましかと声を出しながら登った。
和田峠は気持ちのよいお花畑だった。久しぶりに山を登ったという感じを抱いて自転車のデポ地に向かう。諏訪大社まで700mのdown-hillを楽しむ。200円温泉で汗を流し、諏訪のジャスコで買い物をし、今宵のねぐらに決めた和田峠へ向かった。
八島が原へ出るシャトルバスの発着場で車中泊。ここは標高1500m、夜はさすがに寒く寝袋に入った。周りに街灯などの明かりはなく、久しぶりにたくさんの星を見た。


【写真上:御神木の落し場 右:和田峠にて】





【2005-7-18 和田峠〜和田宿(単独)】
再び和田峠へJIANTをデポし和田宿に戻る。寝不足気味だったので和田宿ステーションにて仮眠を取った。
和田宿本陣跡へより、真夏の暑い陽射しの中和田峠を目指す。人気のない和田宿宿場街を歩いていたら、元気なお姉さんが颯爽と追い越していった。ウエストポーチ一つで競歩の選手のように早かった。唐沢までは歩道もない国道歩きで辛かったが、その後緑豊かな旧道が現れ一息ついた。
永代人馬施行所で一休み。再び緑の旧道へ入り、石畳の感触を楽しむ。国道とビーナスラインの分岐点に白樺の木陰があり、吹き抜ける緑の風を受けながら食ったグレープフルーツが旨かった。和田峠から、また700mのdown-hillを楽しんで和田宿へ戻り、ふれあいの湯、湯遊パークで汗を流した。【写真:足の早かったお姉さん】




【2005-8-27 和田宿〜笠取峠(単独)】
今回は3泊3日の予定で出発。3泊とも車中泊。帰りの足に使う公共交通機関がないのでJIANTのクロスバイクに活躍してもらった。
27日、国道152の長久保交差点に果物屋さんがあり、ここの駐車場を貸してもらいベースにした。まず、JIANTをデポした和田宿に向かった。車はほとんどバイパスに流れ街道は静かなものだった。和田宿に入ると、あちこちに清水が湧き出ておりありがたく飲ませてもらった。和田宿から果物屋さんまで緩い下り坂。ギアをトップに入れっぱなしで快適なサイクリングを楽しんだ。
果物屋さんで再びJIANTを車に積み笠取峠へ。峠にJIANTをデポして果物屋さんに戻る。今度は笠取峠目指して出発。長久保宿に入り、旅館濱田屋で右折、暑い陽射しの中静かな宿場町を行く。町並みを外れると国道に合流するが、ありがたいことに旧道は笠取峠まで残されており、静かなwalkingを楽しんだ。峠から今度は豪快なdown-hillで果物屋さんに戻った。和田宿ふれあいの湯「湯遊パーク」で汗を流し、今宵の泊まり場に予定した道の駅「マルメロの駅長門」に向かった。【写真上左:長久保宿遠景 上右:和田宿の清水】


【2005-8-28 塩名田宿〜笠取峠(単独)】
前夜、同じ道の駅で車中泊していた熟年男性の訪問を受けた。翌朝、今度は「名古屋ナンバーが懐かしくて」という、別の熟年男性の訪問を受けた。一人で旅をしていると人恋しさが募るのだろう。
笠取峠へJIANTをデポし塩名田宿へ向かう。塩名田で車のデポ地を探していたらJAの庭をお借りすることができた。千曲川を渡り、八幡宿、望月宿、茂田井宿、芦田宿と宿場街を渡り歩いた。瓜生坂越えを除いて、ほとんど車とともに歩く道だが比較的静かな街道が続いた。芦田宿を過ぎると笠取峠の松並木が始まる。金明水で喉を潤し笠取峠へ。塩名田宿への快適なサイクリングで一日を締めくくった。【写真:瓜生坂】


【2005-8-29 塩名田宿佐久平(単独)】
前夜よく眠れず体が重い。コースを短めに設定して岩村田宿までとした。長野新幹線佐久平駅横のジャスコにJIANTをデポし、塩名田宿へ戻る。前日使ったJAの庭は店が営業中で使えず、浅科小学校横の畦道に車をデポして歩き出した。
塩名田宿を過ぎると回りに林檎畑が多くなってきた。頭を垂れる稲穂の向こうに浅間山が控えているのだが、残念ながら山頂部は雲の中だった。岩村田宿の街道筋は人も車も多い繁華街だった。途中休むところもなく小海線岩村田駅で一息ついた。ジャスコにデポしたJIANTにまたがる。塩名田宿へは基本的に下り勾配で、林檎畑の中を快適なサイクリングを楽しむことができた。【写真:林檎畑と浅間山




【2005-9-10 岩村田宿沓掛宿(同行一人)】
前夜、中央道小黒川PAにて車中泊。よく眠れないまま朝を迎え、中継点の佐久平駅を目指す。駅前駐車場へ車を入れ11:15出発。小田井南までは車の往来の激しい道を行く。暑い陽射しが重い体に容赦なく降り注ぐ。林檎畑を見ながらひたすら歩く。浅間山に夏の雲が湧き上がっていた。小田井南からは静かな通りになったが暑さは変わらない。端正に宿場街の面影を残す小田井宿も、日陰はなく休む場所がない。しなの鉄道御代田駅前のロータリーに涼しい木陰を見つけた時は、砂漠でオアシスの感じだった。
周りに別荘が目立つようになってくると追分も近い。国道18に出た。車の往来が激しく、中仙道と北国街道の分岐である「分れ去り」では、写真を写すのも命がけだった。追分宿を出てしばらく国道を歩き、やがて沓掛宿へ続く旧道に入る。寂れた感じの街中を行く。人が住まなくなった家がやたらと目立つ。それが寂寥感に拍車をかけた。16:18中軽井沢駅着。しなの鉄道でで小諸に出、小諸から小海線に乗り換えて佐久平に戻った。【写真上左:小田井宿 上右:追分宿


【2005-10-22 沓掛宿〜横川駅(同行一人)】
浦和在住の新ちゃんが碓氷峠越えを同行してくれるという。前夜、佐久平PAにて車中泊。翌朝、横川駅で新ちゃんと合流した。横川駅前に新ちゃんの車を置き、中軽井沢に戻った。中軽井沢駅前駐車場に車を置き出発。しばらく国道を歩き、離山交差点辺りから別荘地帯を歩いた。林の中に続く別荘群を眺めながら、「見晴らしが効かん別荘なんて・・・・」と思いながら歩いた。
軽井沢銀座に出た。どこから人が湧き出てきたんだろうと思うぐらい、観光客で一杯だ。軽銀を抜けると観光客は潮が引くようにいなくなった。碓氷峠へいたる山道に入る。

静かな山道だが、峠から降りて来る人が頻繁で、狭い山道ですれ違いに忙しかった。碓氷峠展望台に着く。花曇で展望は今ひとつだった。碓氷峠から坂本宿までは650mの下り。登山道は荒れていて歩く人も少なそうだ。下山するまでに会った人3人。自転車を押してきた若者一人。坂本宿へ着く。各戸に掲げられた屋号を楽しみながら碓氷関跡を経て横川駅に着いた。新ちゃんの車で中軽井沢へ戻る。夜半に雨。翌朝、初冠雪に輝く浅間山が眩しかった。【写真右上:軽井沢老舗旅館 右下:浅間山



【2005-11-6 横川駅〜安中宿(単独)】
前夜中央道小黒川PAで車中泊。翌朝岡谷ICで降り、和田峠を越える。佐久平ICで再び高速に乗り、松井田妙義ICで降り、横川駅へ9:30に着いた。家からの走行距離は300.4km。鉄道文化村へ車を置き、信越線の線路に沿って歩き出す。本来ならば妙義山の絶景を眺めながら歩くのだが、雲が低くぼんやりとしか見えなかったのは残念だった。
表通りは車の通行が激しいので裏通りを歩くようにした。不動寺でトイレを借りる。安中宿へ差し掛かる辺りで雨が落ちてきた。歩道もない車道の隅っこを笠をさして歩いていると車の通行の邪魔になるらしい。何台かの車が、傘の下をすり抜けていった。「延命地蔵」で一休みし、車道をひたすら歩く。「原市の杉並木」が見えてきた。杉はもう数えるほどしか残っていない。安中駅から信越線で横川駅へ戻る。駅員に教えてもらった坂本宿の「峠の湯」に浸かり疲れをとった。コンビニでビールと夕食を買い、今宵の泊まり場に予定した、道の駅「妙義」に向かう。広い駐車場に車は1台。霧が激しく流れ、車の屋根を叩く雨の音を聞きながら寝袋に潜り込んだ。【写真:安中宿】


【2005-11-7 安中宿〜倉賀野宿(単独)】
朝起きて目を見張った。昨晩の雨は嘘のように晴れ上がり、青空の中、道の駅に覆いかぶさるように妙義山が背後に聳えていた。
さて、前日目をつけておいた碓氷川に懸かる久芳橋の下に車をおき、鬼の巣窟のような東邦亜鉛安中精錬所を見上げながら歩き出す。鬼の巣窟はあちこちの鼻の穴から盛んにガスを噴出していた。板鼻宿を過ぎ国道18を高崎宿へ向かう。車の洪水で歩くには耐えられない環境だ。ふと気が付くと右手に碓氷川の堤防が見える。堤防に上がってみたら、そこ別天地だった。

ランニングの人とか自転車がたまにすれ違うのみ。碓氷川の堤防に感謝し、君が代橋を渡って高崎宿へ入る。はじめのうちは宿場町の面影もあったが、やがて繁華街を歩くようになった。もう雑踏から逃げることを諦めて歩くことにする。高崎宿を抜けても、倉賀野宿まで幹線道路歩きが続いた。
倉賀野神社に参拝して駅に出る。高崎線で高崎まで出、信越線に乗り換えて安中駅に戻った。道の駅「妙義」のあの環境が忘れられず、「峠の湯」でまた汗を流し、「妙義」まで戻った。この夜はよく晴れ、高台にある道の駅からは高崎市の夜景がよく見えた。
【写真右上:妙義山 右下:碓氷川に懸かる木橋から高崎市を望む、白いビルは市役所か】



【2005-11-8 倉賀野宿〜本庄宿(単独)】
この朝も快晴で、背後に聳える妙義山に目を奪われた。平日だが、妙義山に登る熟年が続々と集まって来る。自分も、排気ガスを吸って歩く街道歩きより妙義山へ、という考えが頭を掠めたが、気を取り直して国道17を倉賀野へ向かった。
倉賀野神社の宮司さんにお願いして、神社の庭に車を置かせてもらい出発。車の行き交う街道を行く。国道を横断して子育観音から岩鼻へ入ると落ち着いた街道風景になった。

柳瀬橋で烏川を渡ると、川沿いに自転車道があり、しばらく静かな歩きを楽しむことができた。烏川緑地にオートキャンプ場があったので小用に寄った。ところがトイレには鍵がかかり使えない。そこはトイレも使えない「自由広場」だった。
神流川にかかる橋の上で「これより埼玉県」の標識を見る。いよいよ埼玉県か、と、感慨にふけりつつ神流川を渡った。川を渡ると、再び車が行き交う県道歩きとなった。コンビニに入り栄養補給。「駅まで40分くらい」という声に励まされ、空っ風の中、本庄駅を目指した。高崎線で倉賀野に戻り倉賀野神社に帰った。名古屋への長いドライブが始まった。藤岡ICから上信越道に入る。夕闇の中の妙義山の眺めもなかなかのものだった。暗くなった頃佐久ICで降り、、通い慣れた佐久平の道を岡谷ICへ向かった。【写真上:倉賀野宿追分 下:埼玉県に入る】




【2005-12-1 本庄宿〜籠原駅(単独)】
前夜、中央道小黒川PAにて車中泊。翌日、佐久ICで上越道に入りなおし、藤岡ICで降りて中継点である本庄駅に向かった。駅を出て、国道17を渡りしばらく進む。何の変哲もない道。道端の土手で一休み。影法師が一つで寂しそうだ。県道45を横断し小山川の堤防を歩く。足に優しい地道だった。滝岡橋で小山川を渡り、再び車道を歩く。深谷宿は時折宿場町の面影を見つけることができた。ガイドブックにも紹介されている「見返りの松」は枯れており、枯死寸前に思われた。車とともに歩き続け、籠原駅へ着いた。高崎線本庄駅に戻り、観光案内所でスーパー銭湯「湯かっこ」を教わり汗を流した後、今宵の泊まり場である道の駅「おかべ」へ向かった。【写真上左:滝岡橋】


【2005-12-2 籠原駅北鴻巣駅(単独)】
道の駅「おかべ」で魚定食を食い籠原駅へ向かう。駅からしばらくは雑踏の中を歩く。秩父道追分記念碑のある公園で休んでいたら、近所の人がこちらをちらちら見ていた。平日の昼、熟年が公園で一人休んでいる図は警戒されるのだろうか?
熊谷市の繁華街を通り荒川の堤防に出た、しばらく車から開放された。久下の思いやり橋は2年前に撤去され、小さな記念碑だけが残されていた。荒川の堤防から吹上駅前に出る。ひたすら歩き続けるうちに陽は落ち、街に灯が点くころ北鴻巣駅へ着いた。再び「湯かっこ」で汗を流し、道の駅「おかべ」へ向かう。かなり冷え込んできた。夜、何回となく暖かい寝袋を出てトイレに向かうのは辛い仕事だった。【写真:荒川堤防】


【2005-12-3 北鴻巣駅上尾駅(単独)】
前夜、浦和に住む新ちゃんから携帯に連絡があったり、「明日はうちへ泊まれ」と言う。3日目の車中泊も気持ちよく目覚めた。
北鴻巣駅前に駐車場がない。駅前の交番で聞いてもダメだった。やや遠いが、駅裏?の武蔵放水路沿いに空き地を見つけ車のデポ地とした。
相変わらず車の多い街道筋を避けて、裏通りを探しながら歩くことが多くなった。休むところもトイレをするところもない。そんな中で、多聞寺は砂漠の中で見つけたオアシスのようにありがたかった。
その後も車道歩きが続き、上尾駅で終了とする。北鴻巣駅に戻り、暗くなりかけた道を武蔵放水路にデポした空き地まで急いだ。北浦和駅で新ちゃんと合流。4日ぶりに布団の上で手足を伸ばした。

【2005-12-4 上尾宿〜蕨宿(同行2人)】
この日は新村夫妻が交代で同行してくれた。まず、るり子婦人に上尾駅まで送ってもらい新ちゃんと2人でスタート。ここまで来れば都心と変わらない。繁華街の中を歩く。中仙道の遺構はビルの谷間にひっそりとある場合が多く、気をつけないと見逃してしまう。
氷川神社表参道でるり子婦人と合流、北浦和駅まで3人で歩いた。北浦和駅で新ちゃんは帰り、ここからるりちゃんと2人で歩く。

朝から空模様がおかしかったが、暗くなり始めるころ雨が落ちてきた。焼米坂を下った先で道がよく分からなくなってきた。灯がついた無人の精米所があったので、休憩と地図の確認のため、ありがたく利用させてもらった。るりちゃんがいたからよかったが、一人でそんなところに居れば不審者として通報されていただろう。
やっと蕨宿の入り口についた。ここで雰囲気は一変。よく考えて町並みが作られており、旧街道の雰囲気が演出されていた。これまで歩いてきた地域が、旧街道保存のためほとんど何もされていなかったのでその対照は際立つものだった。17:30蕨市役所前で新ちゃんの出迎えを受けた。【写真:氷川神社表参道】


2005-12-23 蕨宿〜日本橋(同行2人)】

22日夕方、吹雪の名古屋を出発。高速道路は雪がシャーベット状になっており、ノロノロ運転。東名高速が通行止めになる寸前に愛知県を脱出。22:00泊まり場に予定した港北PAに到着。翌朝、9:20蕨宿で新村夫妻と合流した。
会社の社宅駐車場に車を入れスタート。国道17を歩き荒川へ出る。荒川の堤防で小休止。「薬師の和泉庭園」は砂漠の中のオアシスのような存在で。ホッと一息ついた。「志村の一里塚」はこんな都会の真ん中で、よく残っていたものだと感心した。
板橋本町の辺りから商店街を歩く。雰囲気はなかなかよい。板橋を渡った辺りで蕎麦屋さんに入りうどんを食った。蕎麦屋のかみさんに足をもんでもらって店を出る。商店街の人出は次第に多くなり、とげ抜き地蔵さんの辺りでは人ごみの中を縫うようにして歩いた。「おばあちゃんたちの原宿」と言われるとおり、老婦人が多かった。とげ抜き地蔵さんを後に、再び国道をひたすら歩く。東大赤門の中に入りベンチで休憩。薄暗くなる中、秋葉原、神田と都心を歩く。イルミネーションがまばゆく輝く三越の前を通り、17:00丁度、日本橋に着き、中仙道69次を辿る旅が終わった。
最後の行程に、愉快な場所と時を提供してくれた新村夫妻に感謝すること大。