(備忘録)SHIGE & YO-tya 旧東海道徒歩の旅 ステージ1(2006-2〜2006-5)


歩けるうちに歩いておこうという思いで、旧東海道を辿る旅を始めた。草津宿から京都三条大橋は中山道の旅で歩いているので省略した。草津宿から再び江戸日本橋を目指す旅である。この旅の推進役は相棒のYO-tyaだった。SHIGEは予定していた自転車ツーリングを再三中止して旅に付きあわせられた。


【2006-2-19 草津宿〜甲西駅】
1月中旬、庭石を5cmほど踏み外した。これが腰椎の古傷を刺激して、しばらくまともに歩けず。「不運は常に空中を漂っている」ことを実感させられた。
草津駅地下駐車場に車を入れ、駅前商店街を中山道の追分へ向かう。天井川である草津川の下にあるのが、中仙道と東海道の追分だ。歩けなければ途中でやめようと気楽な気持ちで歩き出す。草津宿の外れにある常夜灯を後にして、間の宿六地蔵を目指す。六地蔵のお堂の前で一休み。静かだった。
六地蔵から草津線の線路に沿って埃っぽい道を行く。左手に見える三上山の優美な姿が救いだ。右手には対照的に、砕石で崩された石部金山の跡が異様な姿を見せていた。石部宿コミニュティ−センターに置かれていた篭に乗って遊び、甲西駅から草津線草津に戻った。【中仙道との追分にて】




【2006-2-23 甲西駅〜水口宿】
名神竜王ICで降り甲西駅へ向かう。駅前の無料駐車場が1台分だけ空いておりその幸運に感謝する。街道筋は白壁の家とか格子戸の家があり、それなりに雰囲気があったが、車の通行が多く落ち着かない。この辺りは国道1号と平行に走っており通行料の多い1号線の迂回路になっているのだろう。
横田橋で野洲川を渡り横田の渡し跡へ向かう。渡し場跡は公園にっており、ここの常夜灯は東海道最大のものだそうだ。横田の渡しから水口宿へは真直ぐな一本道。水口宿が近づくにつれ、白壁や格子戸の家が目につくようになり、宿場街の雰囲気が漂ってきた。近江鉄道貴生川駅へ出、草津線で甲西駅へ戻った。【天井川由良川を潜る】


【2006-3-4 水口宿〜土山宿】
道の駅「あいの土山」に帰りの足としてBD-1とDAHONをデポし、スタート地点水口に戻る。水口城址駐車場に車をいれ出発。水口石橋を渡り、人通りの絶えたアーケード商店街をいく。商店街を抜けた所にからくり人形が置いてあった。12:00に動くと書いてある。しばらく待っても動かないので離れかけたら、いきなり笛太鼓のお囃子が鳴り出した。あわてて戻りしばらくからくりを楽しんだ。
水口宿を出る。旧街道は幹線道路を離れているので静かだった。大野集会所の前に東屋があり休んでいたら、集会場に集まっていた人たちから近江茶とお菓子の接待を受けた。鈴鹿の山並みを近江側から眺めながら土山宿へ。ここは古い町並みがよく保存されていた。
すでに陽は傾きかけ薄ら寒かったが、デポした自転車にまたがり1時間あまりのポタリングを楽しんで水口宿へ戻った。【水口商店街のからくり】



【2006-3-26 土山宿〜関宿】
道の駅「あいの土山」から蟹が坂までは静かな裏道歩き。蟹が坂で国道1号に出た。ここで資料を見誤って国道を離れて林道に入ってしまった。変だ、変だと思いながら歩いていくとやがて行き止まり。蟹が坂に戻った。疲れが倍加する。
鈴鹿峠までは国道1号を歩き、峠から坂下宿へは静かな旧道歩きとなる。坂下宿はうらぶれた感じで印象が残らない。その下の沓掛集落のほうが旧街道の趣をよくあらわしていた。関からJRを乗り継いで貴生川駅にに戻り、貴生川駅から地域巡回バス「あいくる」で道の駅に戻った。【写真:土山宿】


【2006-3-31 関宿〜庄野宿】
霙交じりの強風が吹きまくった一日だった。関宿を出、国道1号を渡り鈴鹿川の堤防沿いに歩く。錫杖岳を盟主とする蛾々たる山並みが標高のわりに見応えがある。
亀山宿の入り口、京王坂に着く。ここにある照光院で一休み。桜の古木がありほころびかけていた。ここ数日の冷え込みがなければこの日当たり見ごろだったのに残念だった。街道筋の菓子屋で草餅を買い、頬張りながら歩く。井田川駅のトイレでお世話になり、再び鈴鹿川の堤防に出た。ここでやっと合羽を脱いだ。強風で吹き飛ばされそうになりながら和泉橋を渡った。
庄野宿を出たところで国道1号の信号待ちをしていたら、向こう側に大きな荷物を背負った若者がいた。生活用具一式を持って東海道を継続して歩いているという。その若さと体力に羨望を感じながら加佐登駅に向かった。【写真:霙で人通りの少ない関宿】

【2006-4-30 庄野祝〜四日市宿】
庄野橋の袂、鈴鹿川の河川敷に車を置き、河川敷緑地の中で休日を楽しむ家族連れの中を定五郎橋へ向かう。定五郎橋から霞に浮かぶ鈴鹿の山並みを眺める。もう、ずいぶん遠くまで来たもんだと思った。
JRの踏切を渡ったところに石薬師の一里塚があり、涼しそうな木陰を提供していた。石薬師寺のたたずまいにひかれてお参りする。境内には石楠花や牡丹の花が緑の中に彩を添えていた。
石薬師宿にはいたるところに佐々木信綱の和歌が掲げられていた。石薬師宿を出てしばらく国道を歩き采女の坂から再び旧道に入る。しばらく静かな道を行くと杖衝坂の急坂が現れた。
日永の追分でBD-1に乗った青年を見かけた。名古屋から走ってきたらしい。しばらく話をする。近鉄内部線に沿って歩く。時々旧街道の面影が現れた。四日市に近くなった頃雨が降ってきた。商売屋風の家から出てきた人が「傘を持ってけ」と言う。好意に感謝しながら駅前大通りをJR四日市駅へ向かった。


【写真左:2006-5-3桑名宿矢立の立場】【写真右:2006-4-30 杖衝坂】
【2006-5-3 四日市宿〜桑名宿】
四日市駅前大通に「ここは東海道」と大書された横断幕を掲げた商店街があり、そこから東海道を継続した。この日もトイレをする場所を探しながらの歩行となった。町屋橋で員弁川を渡り桑名宿へ入った。矢立の立場からは要所に道しるべの石柱があり、これを辿っていくと九華公園へ導かれ、やがて七里の渡し場跡へ着いた。