(備忘録)SHIGE & YOtya 旧東海道徒歩の旅ステージ2 2006-5〜2006-12(宮宿〜江尻宿)

さあ、またぶらりと歩こう。どんな出会いがあるか楽しみに・・・・


【2006-5-21 宮宿〜前後駅】
宮の宿、七里の渡しは家から約4kmと近い。数十年にわたって通勤で毎日眺めながら通ったものだ。堀田の商店街を抜けて、名鉄線とほぼ平行に歩いて笠寺商店街へ。笠寺の観音様にお参りして鳴海宿へ向かう。
鳴海宿に30年近く通った会社がある。昼休みによく散歩したものだ。鳴海宿の隣が絞りで有名な有松だ。有松絞りにも思い出は多い。有松にはよく保存された旧家も多く、観光客がそぞろ歩きしていた。暑さと疲労で前後駅で打ち切り、名鉄神宮前駅へ戻った。【写真:公園として保存されている七里の渡し】




【2006-5-25 前後駅〜岡崎宿】
前後駅を出て阿野の一里塚を過ぎると国道1号線歩きとなった。今川の交差点で地下道で国道1号を潜り、暑い陽射しの中、富士松の町並みを行く。今岡交差点から知立宿の町並みに入った。
複雑に屈曲する宿場街を抜けた所に和菓子屋さん「つちや」があり、柏餅と水饅頭を食った。店の前を掃除していた「つちや」の御主人が「もうじきNHKで放送しているで東海道の旅人”岩本さん”が通るから接待の準備をしている」とのこと。
「じゃぁ、今日は会えるかも」と思いつつ街道筋を行くと、1号線の手前で数人の男性がこちらに向かって来るのが見えた。先頭の大男は小走りに走っている。その後にカメラを担いだ人が。先頭の大男に声をかけた。「岩本さんですか」。「そうです」。やった、やった。短い会話だったが楽しかった。かみさんは、岩本選手と会ったこと、握手したことを携帯であちこちに報告していた。
国道1号を横断し、知立の松並木に迎えられた。国道に比べれば静かで落ち着いている。やがて国道の喧騒に巻き込まれ、矢作川を渡り岡崎宿へ入った。八丁味噌の香りが漂う八丁蔵通りを経て、名鉄岡崎公園駅に出た。【写真:知立の松並木】




【2006-5-28 岡崎宿〜本宿】
岡崎宿は大都会岡崎市に呑み込まれている。繁華街の中を行く。市街を屈曲する旧街道は「27曲り」と称されるほど複雑だ。舗道上に埋め込まれた標識を頼りに歩くが、分かりにくく適当に省略した。
東名岡崎ICの下を潜り、大平一里塚を見て国道に出る。乙川を大平橋で渡ると美合に出る。美合にもあちこちに松並木が残っていたが、藤川宿に至る松並木は立派なものだった。松並木は日除けにもなった。藤川宿は宿場街の面影がよく残してあり、観光客のために駐車場トイレなどのの施設も整っていた。あちこちに紫麦が実っているのを眺めながら名鉄本宿駅へ着いた。【写真:岡崎宿の路上にて】

【2006-5-31 本宿〜吉田宿】
名鉄本宿駅の駐車場に車を入れ、本宿の街道筋を歩き出す。すぐ近くに近藤勇首塚があるという法蔵寺があり、首塚と対面した。すぐ国道と合流し「関谷」で再び旧道へ入る。暑かった。道端に木陰を見つけ腰を下ろす。靴下を脱ぐと快適だ。爽やかな5月の風が吹きぬける中、道端で休憩のひと時をすごす。至福の思いとはこのことかと思った。
旧東海道で唯一営業しているという旅籠「大橋屋」を見てしばらく歩くと前方に立派な松並木が現れた。天然記念物「御油の松並木」だ。雰囲気は十分だが、意外と車の通行が多く狭い道路で気を使った。再び国道に出、名鉄線を高架で渡り終えたところで旧道に戻る。ここから豊川に架かる「豊橋」まで直線で約9km、暑い陽射しの中、単調な歩きが続いた。【写真:御油の松並木】



【2006-6-4 吉田宿〜新居宿】
豊橋公園へ車を置き自転車豊橋駅へ。地下駐輪場へ自転車を置き、市電と記念撮影して外へ出る。暑い陽射しの中、都会の中を車と共に延々と歩いた。二川宿へ入ってやや落ち着いた雰囲気になってきた。
筋違橋を渡ると、また長い国道歩き。炎天、騒音下、休むところもなく黙々と歩く。「一里山」の先で国道と離れ、待望の静かな道が始まった。白須賀宿へ入る。静かな宿場街歩きは楽しい。紫陽花咲く塩見坂の向こうには遠州灘の青い海が見えた。
潮見坂を下ると、また変化の少ない車道歩きが延々と続いた。疲れも出てきて足取りも重い。暗くなる頃新居宿へ到着。相棒の歩行計は43000歩だった。【写真:潮見坂】



【2006-6-10 弁天島駅天竜川駅
浜名湖に浮かぶ弁天島の鳥居に見送られて出発。舞阪宿に脇本陣が公開されていたので入ってみた。ここは、舞阪町が3億円かけて江戸時代の建築物を解体、再構築したこと。大正時代には舞阪町の町役場に使われたこと。その後、ある人がここで医院を開業したことなど、案内の女性が親切に説明してくれた。これだけのものを維持し、無料公開している舞阪町の心意気を感じた。
舞阪宿の外れからしばらく松並木が続いた。その後は延々都会歩きが続き浜松駅へ。駅前広場で浜松市合併記念の催し物が行われているのを見て、天竜川駅まで雑踏の中を歩いた。【写真:浜松駅前広場、合併記念コンサート】



【2006-6-13 天竜川駅〜袋井宿】
天竜川の右岸に車を置き自転車で中継点の天竜川駅へ向かう。駅前駐輪場に自転車をデポし出発、天竜川へ向かった。狭い天竜川橋には歩道がなく、激しく行き交う車の中、運を天に任せて歩いた。
天竜川を無事渡り見附宿へ向かう。磐田といえばジュビロ磐田のホームだ。駅前大通はジュビロロードと呼ぶのだそうだ。よくある寂れた駅前通という感じで目を惹くものはなかった。
ジュビロロードから旧見附学校へ向かう。ここは今回の行程のハイライトだった。これだけのものを保存、維持し、無料で公開しているのには敬服した。また、暑い陽射しの中の歩行に疲れた旅人にとっては、疲れを休めることができるオアシスのような場所でもあった。
この先、国道を歩道橋で渡り、紫陽花の咲く松並木がしばらく続いた。みゆき橋の袂が袋井宿の立場跡であり、ここで疲れをとった後袋井駅へ向かった。【写真:車の喧騒から開放されて松並木を行く。】



【2006-6-27 袋井宿〜掛川宿】
もう暑くて日傘なしでは歩けない。舗装道路の照り返しが強烈だ。やはり夏は歩く季節ではない。袋井駅前大通りの脇にあった袋井宿場公園で用を足して歩き出す。この公園のトイレの清潔さに感激した。
街道筋はそれなりに静かなのだが暑さには閉口した。国道へ出る手前に名栗の立場跡があり、木立が涼しそうな木陰を作っていた。風も吹き抜けている。こんな気持ちのよいところで休まない手はない。ベンチで仰向けになり、木の葉越しに見える青い空をしばらく楽しんだ。
同心橋をわたると間の宿原川で、ここの松並木もよく手入れがされていた。松並木が終わりしばらく歩くと掛川宿だ。遠くに掛川城天守閣を眺めながら掛川駅へ向かった。【写真:袋井宿にて】



【2006-10-7 掛川宿〜金谷宿】
夏が終わり歩く季節がやってきた。駅前駐車場に車を置き歩き始めると、掛川の町は数年に一度の大祭で賑わっていた。歩くのを止めてしばらくお囃子を楽しんだ。いつまでも見ておれないので歩き出す。
国道へ出ると、どこかのサイクルイベントの参加者だろう、自転車でやって来る集団につぎつぎと出会った。八坂ICで国道と分れ、事任八幡宮でさらに側道へ入り、静かになった街道を日坂宿へと向かった。今では脇道にそれた日坂宿の通りは静かだった。
日坂宿から小夜の中山、牧之原台地へ入るのだが入り口に標識が欲しい。急な坂をしばらく登ると台地に出た。青い空、吹きぬける風、綿雲、どこまでも続く茶畑。街中ばかりの街道歩きが続いていたので、静かな台地の開放感は新鮮だった。
台地から間の宿菊川へ降り(ここも時間が止まったように静かだった)、さらに、石畳の道を辿ったりしながら金谷宿へ向かった。高みから見下ろす金谷の町並みは、四方を山に囲まれ何故か心が落ち着く思いがした。【写真:牧之原台地


2006-10-26 金谷宿〜藤枝宿】
前夜、道の駅「掛川」でNOAH-yy泊。できたばかりの道の駅はトイレがウオシュレットになっており感激した。翌日、前回見つけておいた金谷宿の観光駐車場に車を入れ出発。 大井川を渡ったところで、街道は幹線道路歩きとなってしまうのでこれを敬遠して、大井川の左岸につけられた遊歩道を歩いた。対岸には前回歩いた牧之原台地がゆったりと横たわっていた。
谷口橋で大井川と分れ、街道に戻る。所々に現れる松並木を鑑賞しながら、六地蔵尊の角から藤枝駅へ向かった。【写真:藤枝宿の松並木】



【2006-11-3 藤枝宿〜丸子宿】
前夜、道の駅「掛川」泊。雨模様だったが、翌日は抜けるような青空。駅前に車を入れ出発。藤枝宿の外れから、同じように東海道を歩いている3人組の若者と付かず離れず丸子宿まで歩く形となった。
「つたの細道公園」から旧宇津ノ谷峠へ出る旧道が分からずまごまごしてしまい、相棒に迷惑をかけてしまった。宇津ノ谷の旧道から見下ろす間の宿「宇津ノ谷」は山に囲まれた小さな集落だった。宿場街に降りてみて、その静かなたたずまいにまた感激した。
とろろ汁の「丁子屋」から丸子宿へ入る。丸子宿の外れで、静岡方面へ向かう若者3人組と別れJR安倍川駅へ向かった。
【写真:構内橋を渡り岡部宿へ向かう。前を行く3人組とは丸子宿まで同行するような形になった】






【2006-12-3 丸子宿〜江尻宿】
前夜、例の如く道の駅「掛川車中泊し、朝、寝具を片付けていたら、隣にオープンカーを停めていた爺さんが話しかけてきた。爺さんはいつも一人で、かみさんとこういうことができることが羨ましいと言っていた。
翌朝、安倍川駅付近で、土地の人に無料駐車場を教えてもらい歩き出す。安倍川を渡り大都会静岡市へ入った。静岡市のしゃれた繁華街を通り抜ける。どこまで歩いても車の洪水だった。草薙駅付近で足が痛くなり中断したかったが、かみさんに励まされて江尻宿まで歩きとおした。【写真:富士川を渡る】