病院の帰りに諏訪湖へ

ここなら死んでも後悔しない、という病院が北海道や九州にあったとしたら私はそこまで通うだろうか? 名古屋のガン拠点病院で末期がんを宣告された私には2012年というという年はないそうだ(統計上平均的に)。
ちょうど1年前、臨床試験による抗がん剤の副作用で苦しんでいた。薬で正常細胞が殺され、身体が徐々に壊れていくのを実感した。肝心のがん細胞は期待したほど退縮しない。担当医も初めから抗がん剤の効果について期待を持たせなかった。まれに劇的に効く人もいるとのことだった。
胸を開けたら手術をしても無駄な状態だと分かり、放射線治療もできない私に残されていたのは抗がん剤による治療のみだった。これ以外の治療は、しても診療報酬が出ないのでおそらく全ての拠点病院ではやらないだろう。
1年前、私はある意味で進退窮まった。このまま抗がん剤治療を続ければ多臓器不全で死亡するであろうことは容易に想像できた。今年5月、ガン拠点病院の担当医は言った「もう一度抗がん剤をやりましょう。最初投与したのは強い剛速球でしたが、今度はもう使えません。変化球で試してみます」。
私は担当医に言った。「抗がん剤治療を続けて死ぬより、ガンで死ぬほうを選びます」。そして埼玉県川越市の帯津三敬へ行くことを告げた。担当医には、自分たちがガン治療の最前線にいるという自負があったと思う。しかし、私が言ったおそらく聞いたこともないだろう病院への紹介状と検査データを渡してこう言った。「治療方法を選ぶのは患者さんの権利です。私たちはそれを妨げることはできません。

その帯津三敬病院へ今回は車で通うことにした。帰りに諏訪湖で遊ぼうとBD-1を積み込んで前日の午後に名古屋を出た。

諏訪湖SAからの夜景を楽しんだ後、談合坂SAまで走り車中泊。寝台車NOAHyyの寝室スペースは最高。
クーラーboxに入れたビールがよく冷えていた。
翌日、病院まで走り病友?たちと無事に再会できたことを喜び合う。


翌々日、再び談合坂PAで車中泊
風呂に2日間入ってないので気持ち悪いなぁと思っていたら、トイレの中でお湯が出た!
早速裸になってお湯で体中を拭いた。
お湯に入ったみたいにさっぱりした。
その後でのんだビールの旨かったこと!
カーナビが使いこなせず、川越で風呂屋を見つけられなかった後悔も胡散霧消した。
これは朝の談合坂SA。
夜は霧が出てなかなかの雰囲気だった。


双葉SAでは富士山がくっきりと見えた。

八ヶ岳PAでは八ヶ岳もくっきりと。
左は編笠山
懐かしいなぁ。

諏訪湖をBD-1でのんびり走る。
自転車は少ない。
歩く人のほうが多いくらいだ。


ここからも富士山が。

八ヶ岳連峰もくっきりと。

もう秋だ。コスモスが青空に映えている。

赤とんぼに近づいたらパッと飛び立ったがまた戻ってきた。
よほど気に入った場所なのか。
2年前の秋は、走行100km獲得標高1000mが達成できたと喜んでいた。
いまは一周16kmのポタリングでも嬉しい。
ここから中津川までは高速を使わない。そのまま塩尻に出て、中津川までお気に入りの国道19を走る。
途中、木曽川上流の巴淵(泳いでいる巴御前木曽義仲が見染めたという所)で一眠りして名古屋へ。
往復817kmの通院だった。