(備忘録)東海自然歩道ステージ2(犬山〜関が原)

ステージ2は長良川鵜飼で有名な犬山から天下分け目の決戦が行われた関が原までです。



【1996-6-2 善師野駅〜犬山(同行者2人)】
善師野駅前に車を置き、3月に歩いた道を自然歩道北回り南回り分岐点まで行く。南北分岐点から継鹿尾山までは、展望の良い切り開かれた尾根道だ。継鹿尾山まで、けっこう起伏があり一汗かいた。山頂には休憩舎があり、靴を脱いでくつろぐ。眼下には木曽川が大きく蛇行している様子が手にとるように眺められ、大勢のハイカーと一緒にその眺めを楽しんだ。犬山遊園駅から善師野駅まで名鉄で戻る。[写真左上:木組みの階段が続く継鹿尾山への道]



【1996-10-5 犬山〜各務原市会本(単独)】
大安寺川の右岸を爽やかな青空の下、吹き抜ける秋風と頭を垂れる稲穂の眺めを楽しみながら行く。各務原公園までは車道歩き。その先は山間の杉の植林帯に入る。須衛古窯跡群の中のしっとりとした山道を行くと寒洞池へ出た。釣り人が糸を垂れ、このコースのオアシスのような存在だ。山腹の草むらの小道をしばらく行くと、自転車をデポした須衛古窯跡保存施設に出た。
デポした自転車に乗り、苧ヶ瀬池の辺りを走っていた時、額に鋭い痛みが走った。見る見る腫れてくる。蜂に刺されたらしい。お岩さんみたいな顔になるのはいやなので薬局を探して薬を調合してもらった。【寒洞池】




【1996-10-10 下芥見〜各務原市会本、須衛古窯跡保存施設(同行者一人)】
下芥見の伊庭乃西神社に車を置き出発。本来のコースである老洞峠が通行止めで、コースは大きく南側を迂回するよう設定されていた。よく実った稲穂を眺めながら延々と車道歩きが続いた。たんたんと歩いて中継点の古窯跡保存施設へ。
ここで同行者を待たせ、車の回収に向かう。通った苧ヶ瀬街道は、道幅も狭く、歩道もなく、頻繁に通る車に怯えながらの走行となった。[写真:芥見の田園地帯、あの山の向こうが本来のコース老洞峠]


【1996-10-19 下芥見〜三田洞弘法(同行者2人)】
今回も伊庭之西神社に車をデポ。千鳥橋を渡りブドウ畑の中を抜けていくとコースは山の中へ入っていく。一汗かいて尾根に出た。見晴らしがいい。眼下に蛇行する長良川、その向こう、金華山の上に岐阜城が均整のとれた姿を見せている。静かな景色を楽しみたいところだったが、川岸を走る選挙カーが「○○をお願いしま〜す」と、うるさい。
松尾池へ下り、再び登り返して三田洞弘法へ下る。三田洞温泉に浸かって汗を流し茶店で乾杯。ほろ酔い気分でバスに乗り岐阜駅へ。今は廃線となった名鉄美濃町線で下芥見に戻った。[写真:長良川千鳥橋]



【1996-10-27 三田洞弘法〜岐阜市伊洞(単独)】
三田洞弘法から国道を歩道橋で渡り、里山の麓を縫って歩く。多くの家の前では秋の花々が咲いていた。コースは才峠の前後1km位が地道であとはすべて舗装道路を行く。しかし、車の往来は少なく気持ちよく歩くことが出来た。則松付近の柿畑の中の道、秋沢付近のばったが飛び交う農道など、気分が和らいだ。いいことばかりではない。雛倉では放し飼いの大きな犬2匹に追い立てられ冷や汗を流した。
稲刈りで忙しく働く人々を見ながら、伊洞から自転車で三田洞弘法へ戻った。[写真:バッタの飛び交う農道]




【1996-11-16 谷汲山華厳寺岐阜市伊洞(単独)】
華厳寺へ参拝し、本堂の右手から回りこみ、今は廃業した旅館「水月」の庭を通り自然歩道と合流する。淀坂峠までは地道で峠から林道となった。根尾川まで誰にも会わなかった。神海橋手前の小さな公園で霙に震えながら昼食。寒桜が咲いていた。橋の近くで大きなキスリング!を背負った若い女性と会った。聞けば薄墨桜まで歩くとのこと。その若さへの羨望と、健闘を祈る念が入り混じった気持ちでこの若い女性を見送った。
伊洞からデポした自転車で谷汲線稲富駅へ。駅へ付いたら目の前を1時間に1本の電車が出て行くとこだった。谷汲山まで走りきる元気はなく、大野の街を自転車で散策して時間をつぶした。このとき、谷汲まで揺られた名鉄谷汲線もその後廃線となってしまった。[写真:神海橋からみる根尾川




【1996-11-10 谷汲山華厳寺〜横倉寺(同行者3人)】

横倉寺へ同行者の車をデポし華厳寺へ戻る。華厳寺駐車場へ車を入れ、表参道を草餅を食いながら歩く。本堂にお参りして九十九折の山道を登ると、奥の院だ。辺りには冬イチゴが豊富にあり御馳走になった。妙法岳山頂は展望が効かないので、その先の送電線鉄塔の下で休んだ。これから歩くであろう揖斐の山々を見ながらビールで喉を潤した。赤と黄に彩られた縦走路を楽しんで横倉寺へ下山。ここで37歳で入定された妙心上人の舎利仏に対面させていただいた。昔は無料だったが、この日は拝顔料200円が必要だった。[写真左:横倉寺紅葉 写真右:縦走路黄葉]






[1996-11-24 両界山横倉寺〜久瀬大橋(単独)】
久瀬大橋の袂に自転車をデポし横倉寺へ戻る。横倉寺では名残の紅葉の紅が鮮やかだった。観光客の中を抜け下辻越を目指し山の中へ入る。桑谷でも黄葉に迎えられ、登山道を一息登ると、今度は石仏様に迎えられて下辻越に出た。峠からは小津の谷を隔てて、小津権現山の稜線が堂々と気持ちよく伸びているのが望まれた。いつの日か、あの山を登りたいと思った。
峠を下ると、山道はやがて舗装道路になったが車が来ないので静かだ。やがて見えてきた小津の集落は、清流の周りに人家が集まり静かなたたずまいを見せていた。小津渓谷の紅葉を楽しみ久瀬大橋へ。帰途、自転車で走った揖斐峡の景観も、そのまま走り去るのが惜しく、何度も自転車を停めて、碧の水に見とれた。山の幸せを全身で浴びた一日だった。[写真上左:下辻越の石仏様 写真上右:桑谷紅葉 写真下:小津川と小津橋]





【1996-12-7 久瀬大橋〜和佐谷(単独)】
和佐谷の一軒家まで自転車を上げようと車を走らせたが、和佐谷出会いまで来てみると、和佐谷林道にはノントレールの新雪が10cm以上積もっている。自転車で走れる状態じゃないので、出会いに自転車をデポし久瀬大橋に戻った。久瀬大橋から和佐谷出会いまで日坂川に沿って舗装道路歩きが延々と続く。和佐谷へ入ると景色は一変し雪の世界になった。一軒家で休憩して出会いに戻る。帰途の自転車はdown-hillオンリーなのだが部分的に道路が凍結しており、谷底へ突っ込まないよう気を使った。


【1997-10-25 春日村六合〜和佐谷(単独)】
前年の12月に、鍋倉山の麓までコースをつないでいたが雪が来てしまった。一人で未知の雪山を越える自信がなかったので、雪が消えるまで待つことにした。ところがその後、腰椎損傷の後遺症と体調不良が重なり、鍋倉山越えはなかなか決行出来なかった。ぐずぐずしていると、また雪が来てしまうので思い切って出発。和佐谷の一軒家へ自転車をデポし、長駆、春日村六合高橋谷出会いまで車を走らせた。
せせらぎの音を聞きながら、紅葉の高橋谷を歩く。その最奥に、今は住む人もなくなった谷山の里がある。おばあさんが一人畑を耕していた。雪のない間だけ住み込んでいるらしい。文字通り黄葉に埋め尽くされた谷山を後に尾根に取り付く。黄葉のトンネルを潜りながら13:30鍋倉山山頂に到着。出会いからの標高差900m、体調の良くないこの時、長い行程を3時間30分で歩いたことに満足感を味わった。山頂の避難小屋でしばらく休んだあと、和佐谷へデポした自転車のもとへ向かった。[写真:鍋倉山付近から俯瞰する日坂の里]

【1996-12-14 霞間ヶ渓〜春日村六合(単独)】


野原谷が荒れたため、東海自然歩道のコースは、池田山の麓を回り込むような形に変更されてしまった。しかし、池田山に登って野原谷へ降りるというコースは魅力的だ。自分の頭の中には、麓を迂回するコースは最初からなかった。
日本桜100選の霞間ヶ渓へ車を置き、暖かい冬の陽射しを瀬に受けて尾根道を登る。時々パラが頭上を旋回しているのが見えた。ここはパラグライダーのフライトエリアなのだ。池田山の山頂稜線に出ると、なんと、縄が張ってあり「ここから先立ち入り禁止」の看板があった。野原谷へいくにはこれを潜らなければならない。さらに進むと山の様相は一変。重機が広範囲にわたって整地した跡があり、進む方向を間違えない様に1/25000の地形図を慎重に読んで歩いた。やがて整地帯も終り、穏やかな尾根道歩きとなった。標識の類は意図して撤去されたらしく一切なかったが、昔からよく踏まれた尾根なのだろう、しっかりとした踏跡が続いていた。
野原谷の源頭部に来たと思われる頃、足元の踏み跡は稜線まで伸びた林道のためバッサリ抉り取られていた。野原谷源頭部の地形は複雑である。行きつ戻りつしてコースを探したが分からず断念。足打谷を降りることにした。足打谷への下降路は、はじめ頼りない踏み跡程度だったが、下るに従い明瞭な山道となり、林道となった。無事下山できる見通しも付き、心には余裕が出、長い足打林道を下った。
歩きそこなった野原谷を、出会いから遡ろうと心に決めながら15年経ってしまった。未だに果たせずにいる。[写真:落石の足打谷]



【1996-12-29 関が原町瑞竜〜霞間ヶ谷(単独)】
関ヶ原古戦場の一角、瑞竜の観光客用駐車場に車を置く。瑞竜から大高、大石、大滝、梅谷と池田山の麓に点在する里をつないで歩いた。コースはすべて舗装道路だが、車は少なく穏やかな気持ちで歩いた。振り返れば白い伊吹山が眩しく輝いている。そんなシーンが何回かあった。里では年末の大掃除をしている家も何件かあった。[写真:田圃の畦道で一服]