東海自然歩道ステージ3(関ヶ原〜柘植)

ステージ3は、関ヶ原古戦場から南下し、養老山地・鈴鹿山脈の麓を歩きます。




【1996-12-21 上石津町牧田〜関ヶ原町瑞竜(単独)】
須川と黒血川が合流する地点近くに大きな落葉樹があり、農道が行き止まりになっている小広い場所があった。そこへ車をデポして歩き出す。
この日は朝の冷え込みが強かった。意外と急流の今須川を眺めながら歩いていると、周りの田圃からドライアイスの如く霧が沸き立ってきた。大気が冷たいので田圃の水分から湯気が立っているのだ。夢の世界の中を歩いているようだった。標高293mの松尾山へは一投足で頂上だ。白い伊吹山雄大だ。ここからコースは関ヶ原合戦の戦跡めぐりのような感じで設定されている。
小早川秀秋の軍勢が駆け下りたのと同じ道を下り、武士たちの血で川の流れが黒くなったという黒血川を渡る。大谷吉隆最期の地は疎林地帯である。笹尾山に立って戦場全体を俯瞰する。山を下ればそこは最後の決戦場だった。[写真右下:牧田から伊吹山]


【1997-1-5 南濃町美濃津屋〜上石津町牧田(単独)】
志津北谷の中継点に車をデポし歩き出したのは10:00。地元の男性と話しをした。「えっ、今からあそこまで行くの?」。男性の言葉には「そりゃ大変だ」というひびきがあった。
前半は北上するというより東西に振るほうが多いと思われるほどで、up-downもかなりあった。怪しい雲行きに、雨だけは降らないでほしいと考えながら、黙々と山裾を登ったり下ったり農道を歩いたりして養老公園を目指した。

養老公園から再び山の懐深く入り込み谷を一本回りこむ。そのまま、「みゆき街道」に入る予定が、分岐点を見落としてどんどん里へ降りてしまった。廣瀬橋を渡り、牧田川の堤防を歩くころ雨となった。雨は霙になり重い雪となった。遠くの家々に灯がつく中、自転車のデポ地に向かってひたすら歩いた。
自転車デポ地の広葉樹の下で合羽をつけ、自転車にまたがる。雪で前がよく見えない。全身真っ白になりながら暗闇の中自転車を走らせた。[写真右:牧田川堤防]

【1997-3-20 北勢町川原〜美濃津屋(同行4人)】
美濃津屋の中継点に同行者の車をデポする。二ノ瀬峠が通行止めのため、養老山地を大きく北から回りこみ川原へ出た。
東林寺の裏手から山道を登る。どこまでも続く歩きにくい木組みの階段に閉口しながら川原越へ。わずかのビールで乾杯。志津北谷の下りも階段ばかりだった。川原へ戻り、東林寺の大杉と白滝で遊んで春の一日が終わった。同行の御婦人は花粉症がひどいらしく、一日中マスクを外さなかった。[写真:東林寺の裏手から川原越を目指す]




【1997-1-11 東藤原〜北勢町川原(単独)】
千歳橋手前の空き地に車を置き、生活道路を縫うようにして西藤原駅に出た。思いで深い駅前でしばらくくつろぐ。県道615沿いに歩き聖宝寺へ。表参道の長い石段を踏みしめて本堂へ参拝。この石段にも四季それぞれの思い出が詰まっている。坂本の里へ降り養鱒場へ裏手から入る。通り抜けて入り口で振り返ったら「私有地につき通行禁止」の立て札があった。反対側から自然歩道を歩いてきた人は、この立て札を見てずいぶん戸惑うことだろう。
川原へ向かう自然歩道はゴルフ場造成のため消滅し、長い単調な舗装道路歩きが続いた。やがて川原の台地に出る。寒風の中、お年寄りが三々五々畑仕事をしているのを見ながら、自転車がデポしてある中継点へ急いだ。[写真左上:坂本で員弁川を渡る]


【1997-2-8 東藤原〜菰野町切畑(単独)】
快晴、春のように暖かい一日。再び千歳橋の袂に車をデポし、員弁側を渡った。三岐鉄道の線路をまたぎ、やや長い杉林を抜けると奥村地区に出る。30年前、青川谷に入るため、夜キスリングを背負って何度か歩いた道を交差した。田圃の畦道や、農道や、里山の中を辿り国道421に出た。雑木林の中で、猿の集団に2回出会った。
国道421から水晶谷へ向かう。山に近づくにつれ積雪量が増えてくる。宇賀川を吊橋で渡って水晶谷へ入った途端に雪が深くなった。積雪量は30〜40cm。幸い先縦者の壷足がの跡があり利用させてもらったが、スニーカーの中はびしょ濡れで足が靴の中で泳いでいた。福王山への登路を左に見送り、切畑の里を目指していたら、MTBを担いだ若者と出会った。田光川にかかる橋の袂にデポした自転車で三岐鉄道大安駅へ。東藤原まで懐かしい電車に揺られた。[写真:水晶谷乗越]




【1997-2-10 湯ノ山温泉〜菰野町切畑(単独)】
2日前と同じ田光川に懸かる橋の袂に自転車をデポし湯ノ山温泉へ向かう。温泉街を通り抜け、蒼滝不動から蒼滝へ降りる。蒼滝から小さな尾根を越え菰野富士へ向かう。up-downの激しい尾根だった。菰野富士へは登らず、そのまま風越谷へ向かった。谷の上部では30cmほどの積雪があり、靴の中ではまた足が泳いでいた。朝明川渡渉点で乾いた靴下にはき替え県民の森へ向かう。尾高観音の横を通り、山間の静かな道を切畑へ向かった。途中で出会った人、風越谷で熟年の男性に一人、朝明渓谷を下っている時に数人の熟年御婦人グループ。静かな旅だった。[写真:朝明川渡渉点]


【1997-3-23 湯ノ山温泉〜椿神社(単独)】
再び湯ノ山温泉に車を置き出発。土産物店の人の「行ってらっしゃい」を背に受け、湯の森谷へ入る。湯の森谷を抜けると、雲母峰の山腹に付けられた長い林道歩きとなる。昔、タラの芽が豊富にあった山腹は、杉の植林帯になっていた。水沢の茶畑を通り、紅葉谷の散策路を歩き、内部川の川原を歩いて椿神社に着いた。
椿神社にデポした自転車で桜駅に向かう途中、サイクリング中の小学生の一団に会い、競争した。桜駅から湯ノ山まで電車、湯ノ山駅から温泉まではバスで帰った。[写真:内部川から鎌ヶ岳を見る]




【1997-3-30 石水渓口〜椿神社(単独)】
石水渓口の農協の庭に車を置かせてもらい、緩やかな里道の登りにかかった。先日かみさんと寄った時はつぼみだった野登寺の梅が満開だった。車の通らない静かな里道をつないで歩く。茶畑が続く中、時々梅が花を咲かせている。偏照寺へ寄ったら、見事な枝垂桜が三分咲だった。満開のときにいつか訪れようと思いつつ、桃林寺へ向かう。桃林寺から茶畑と山裾歩きを楽しんで椿神社へ出た。【偏照寺の枝垂桜】



【1997-4-12 石水渓口〜鈴鹿峠(同行者4人)】
鈴鹿峠常夜灯の横へ同行者の車をデポし、石水渓口へ向かう。石水渓口にはまだ山桜が残り、清流が目に沁みる。見上げれば、鬼ヶ牙の大岩壁が頭上に覆いかぶさるように聳えている。安楽越から、カモシカ高原へ尾根を伝う。尾根上でビールつきの大昼食。先日歩いた坂本の集落が手にとるように見える。カモシカ高原から山女原へ。山女原から山裾を巡り、再び鈴鹿山脈の稜線上へ出た。稜線をしばらく行くと、国道1号線を走るトラックの爆音が、鈴鹿峠も近いことを知らせてくれた。【山女原】



【1997-4-20 加太駅〜鈴鹿峠(単独)】
緑の山を背に、元気よく泳ぐ鯉のぼりに見送られて加太駅を後にする。山の中の林道歩きが続く。山の奥のほうでは名残の桜が咲いていた。
国道1号を歩道橋で渡り、沓掛、坂下と旧中仙道を歩く。沓掛は往時の面影を残しているが、坂下に宿場町の名残はほとんど無かった。20年以上前、山から下山して寄った酒屋はまだあり、缶ビールを1本買う。鈴鹿峠でそのビールを飲み、デポした自転車に乗り、関駅まで一気にdown-hillした。関駅からJRで加太駅へ帰る。


【写真上:加太の鯉のぼり 写真右:加太駅から続く林道】






【1997-4-26 加太駅〜柘植駅(単独)】
再び加太駅に車をデポして出発。この日も元気に泳ぐ鯉のぼりに見送られた。山の中の小さな流れに沿って歩く。途中タラの芽を見つけ採集に専念した。小さな峠を越えて加太川を下り不動滝へ。
不動滝からゾロ峠への登りは荒れており、所々ルート探しが必要だった。ゾロ峠は、そこが峠であることを示す小さな標識がなければ、気がつかずに通り過ごしたかもしれない。林道に出て柘植駅を目指す。眼前に、次の目標である霊山がゆったりと横たわっている。民家が現れだすと、お決まりの如く犬に吠えられ、線路を渡って柘植駅へ向かった。【加太駅】