(備忘録)東海自然歩道ステージ4 

ステージ4は近畿地方をラウンドするコースです。その南回りは、柘植駅からスタートして前半は、霊山、青山高原、室生赤目火山群など、風光明媚な山岳地帯が続きます。後半は一転して、山之辺の道、柳生街道など古の人が通った風情ある道を辿り石山寺へ至ります。石山寺から柘植までの北回りコースはあまり人気がないように感じられました。



【1997-5-4 柘植駅〜新大仏寺(同行4人)】
新大仏寺へ同行者の車をデポし柘植駅へ戻る。駅付近へ車を置いて出発。雨模様で傘をさして歩いた。名阪国道のガードを潜ると新大仏寺への分岐に出る。「せっかくだから霊山寺へ寄ろう」。道端にタラの芽など山菜が多く、行程が捗らない。誰も居ない霊山寺で一句ひねり投稿した。「山菜を摘みて辿りし霊山寺」。
霊山への登りは急登が続いた。山頂は広々として気持ちよく、伊賀盆地が一望の下だ。美味しい御馳走とビールを腹いっぱい詰めて、田代池へ下山。池の優美さに一同歓声を挙げた。下山路の西谷川支流は増水しており、流れを横切るたびに足を濡らした。【写真:田代池】




【1997-5-25 新大仏寺〜青山高原(同行2人)】
新大仏寺で同行者と合流。まずは同行者の車をデポしようと、青山高原へ向かう。ところがこの日はツツジラソン開催日ということで駐車場はどこも満車。やっと、榊原道分岐辺りのパークライン上に駐車スペースを見つけ車を置いた。
新大仏寺へ戻り、蛙のなく声を聞きながら出発。単調な槙野川林道をひたすら登る。笠取山直下から馬耶川へ急降下。馬耶川へ降り、さらにその支流へ入る。沢の源流地帯をしばらく行くと車の爆音が聞こえ出した。パークラインが近づいたのだ。パークラインをガードで潜ると、そこには開放的な別天地が開けていた。
馬酔木の群生、名残のツツジ、あふれる緑・・・・・。車の騒音と排気ガスの臭いが、この高原の雰囲気を壊していたのは残念だった。【写真:馬耶川への下り】





【1997-10-10 青山峠下〜青山高原(同行4人)】
6月から腰椎損傷の後遺症が出て、足の痺れが続いていた。医者にかかっても治療はなく、プールの水中歩行でリハビリに勤めた。散歩さえ辛い日々が続いた。
暑い夏が終わり、東海自然歩道を辿る旅を再開した。ありがたいことに足の痺れは遠のいていた。とりあえず、最初は短めのコースを設定した。西青山駅から歩いてきた多くの人たちと前になり、後になり、別荘地帯を抜け三角点展望台へ。乾いたのどにビールが旨かった。帰途、榊原温泉国民宿舎(紫雲閣?)で汗を流した。【写真右:青山高原




【1977-11-1 青山峠〜桜峠(単独)】
青山峠の下から布引山地の登りにかかる。稜線まではややきつい登りが続いた。最初は稜線上の別荘地帯を歩く。見晴らしが良い。三重県中南部の峨々たる山々を見ながら歩いた。やがて、コースは山腹に回りこみ、杉林の中を延々と歩くことになる。見通しの聞かない山裾を何回も回りこんでいると、いつまでも同じ所を歩いている錯覚に捉われる。
布引峠を過ぎ、人気のないゴーストタウンのようなリゾート地帯を通り過ぎる。やがて、正面に尼ヶ岳の優美な山容が、のしかかるように迫ってくると桜峠も近い。桜峠にデポした自転車に乗る。近鉄青山町まで400mに及ぶ豪快なdown-hillは楽しかった。近鉄西青山駅まで電車。そこから車のデポ地まで2.5km。すでに暗く、歩道のない国道156は車が多い。灯をかざして、人の存在を主張しながら歩いた。【写真上:布引山地】


【1977-11-8 桜峠〜美杉村太郎生(同行3人)】
室生赤目火山群の尼ヶ岳、俱留尊山、曽爾高原一帯は東海自然歩道のハイライトの一つだ。四季を通して訪れる人は絶えないし、曽爾高原などは日帰りバスツァーの人気コースだ。
桜峠へ同行者の車をデポし尼ヶ岳へ。ここから見る俱留尊山は1000mの山とは思えない迫力がある。大洞山でビールを飲みひと眠りする。目覚めの気分は最高だった。太郎生で畑仕事をしている人から赤茄子をもらった。この赤茄子は正月をを過ぎても、我が家の床の間で、赤い輝きを失ってはいなかった。【写真右:大洞山から見る俱留尊山】




【1997-11-16 美杉村太郎生〜曽爾村太良路(同行3人)】
太良路に同行者の車をデポし、中継点の太郎生に向かう。抜けるように良い天気だ。自然歩道は真直ぐ亀山峠へ向かっているが、せっかくだから俱留尊山を登ることにして、西浦峠へ向かう。この山は近畿地方で一番人気があるんじゃないかと思う。とにかくすごい人だ。ところで、この山は山頂部が私有地で入山料をとるというのは本当だった。人出の多い亀山峠側には番人が居た。西浦峠側は登る人が少ないので、入山料徴収箱が置いてあるだけだった。4人で500円払って山頂へ向かった。お亀池を中心にして、曽爾高原にも人があふれかえっていた。【写真:曽爾高原とお亀池】



【1997-12-14 曽爾村太良路〜室生寺(同行4人)】
室生寺へ同行者の車をデポし太良路に戻る。太良路から鎧岳、兜岳の奇峰を見上げながらスタート。昔、この辺りの山へ通い詰めたことがあるだけに懐かしさもひとしおだった。クマタワ峠へ静かな林道が続いた。クマタワから室生側も静かな山間の道が続く。道端に冬イチゴが群生しており、その甘酸っぱい味を楽しみつつ室生寺へ向かった。16:30室生寺着。人気のない境内を散策し、名物の草餅を買って帰った。【写真:曽爾高原をあとにしてクマタワへ向かう】









【1997-11-23 大野寺〜室生寺(単独)】

対岸に大野寺の摩崖仏を望む宇陀川べりの空き地に車をデポした。次回コースとの関係で、このときは短めのコース設定となったが体調不十分であり、これぐらいでよかったと思っている。
石畳もある谷あいの道を冬イチゴを摘みながら歩く。また冬イチゴが赤い実をつける時期となった。甘酸っぱい香りを楽しむうちに門森峠に着いた。峠の向こうは展望も明るく開け、ほどなく、赤い柿がたわわに実る室生の里に出た。
再び名物の草餅を買い、室生川の岸にデポした自転車に乗り、しばしのdown-hillを楽しんだ。【写真:大野寺摩崖仏】


【1997-12-28 大野寺〜近鉄榛原駅(単独)】
再び摩崖仏が見える川岸に車をデポし室生湖へ向かう。ガイドブックは湖の南側を大きく迂回しているが、ショートカットのため北岸を進む。おかげで道なき道を歩く一幕も。朽ち果てた標識に導かれて、苔むす石畳を踏んで小さな峠を越した。目の前には端正な額井岳が、その麓を鮮やかな色の近鉄電車が走っていった。このコースはじつは廃止されていたのだが、強引に柵を乗り越え戒場へ向かう。
山部赤人の墓も昔のままにあった。額井岳の麓を巡っていた時、単独行者に会い、しばらく話し込んだ。鳥見山公園までは一登りあった。よく整備された公園だが季節のせいか人影がない。展望台に登り、宇陀の山々の眺めを楽しんだ。眺めに満足して榛原の町へ降りる。やがて雨。傘をさして榛原の町を歩く。電車を待つこともなく車中の人となり、室生口大野へ向かった。電車を降り、車のデポ地に向かって歩いていた時、先ほど話し込んだ単独行者に再会した。奇遇だった。この人は吹田市の歩行の達人Tさん。これが縁で、今でも年賀状のやり取りが続いている、【写真:室生湖】



【1998-1-17 長谷寺近鉄榛原駅(単独)】
近鉄長谷寺駅前に車をデポして長谷寺へ向かう。朝も早く人通りも少ない初瀬の土産物街を通り抜け長谷寺の門前に立ち、そのまま、まほろば湖へ向かった。まほろば湖から鳥見山公園までは丘陵地帯が続き、静かな歩きを楽しむことが出来た。高束城址から見えた室生赤目火山群の眺めに飽きることはなかった。
時間に余裕が会ったので鳥見山を往復。再び道端の冬イチゴをついばみながら榛原の町に向かった。榛原駅から近鉄長谷寺へ戻る。【写真:長谷寺への道】





【1998-1-3 長谷寺駅巻向駅8単独)】
長谷寺からいよいよ山之辺の道へ向かう。金屋を過ぎるとあたりは雰囲気も落ち着いてきた。いよいよ山之辺の道の始まりだ。やたらと、神社仏閣が多くなった。この日は正月3日。突然初詣の人の群れに囲まれたかと思うと、たちまち人影が絶える。そんなことの繰り返しだった。
巻向駅からJR桜井線に乗る。車内は身動きも出来ないほどの人だ。それが、ほとんどの人が次の三輪駅で降り、車内はがらすきになった。桜井から近鉄長谷寺駅へ。【写真上:巻向駅付近で見た柿本人麻呂歌碑】





【1998-2-17 巻向駅帯解駅(単独)】
風が冷たい一日だったが、青垣の山のふもとの梅は今が盛りだった。数え切れないほどの神社仏閣、歴史上の人物の石碑・墓などを見て歩く。平安の昔から歩かれている道は、まだ一部健在だった。
白川池は池の西側が新ルートになっていたが、広い舗装道路を嫌って東側を歩いた。旧道は工事でずたずたになっていた。ベンチで寝転がっていたら小鳥が鼻の先までやってきた。ひととき、良寛様の心境になる。学校帰りの子供たちがランドセルを背に、元気よく歩いてくるのとすれ違いに帯解駅へ向かった。【写真右:山之辺の道】

【1998-2-22 帯解駅円成寺(単独)】
帯解駅前へ車をデポし出発。すぐに山之辺の道に入る。鹿野園町などは、もっと、らしい雰囲気を期待していたが、普通の住宅街で拍子抜けした。
白豪寺の先で山之辺の道は終わり、柳生街道へとバトンタッチされる。滝坂道などは、突然向こうから侍姿が現れても違和感を感じさせない雰囲気が会った。
朝日観音、夕日観音、寝仏、首切り地蔵などを見て石切峠へ出た。峠の茶屋はwalkerで満員だった。円成バス停から路線バスで奈良駅へ。奈良駅から桜井線で帯解駅へ戻った。【写真右:柳生街道滝坂道】





【1997-2-28 笠置駅円成寺(単独)】
当初の予定は、円成寺へ自転車をデポし、帰りは笠置駅までdown-hillするつもりでいた。ところが、自転車を積んで国道369を円成寺へ走ったら、帰りにも少し登りがあることが分かった。疲れた身体に自転車での坂登りはつらい。軟弱な私はすぐ予定を変更。前の周と同じく円成寺から路線バスで奈良へ出、鉄道で笠置まで戻ることにした。
笠置山へ登り、静かな稜線を歩いていたら、工事中に付きコース変更の案内があった。親切な案内に導かれて柳生の里へ出ることが出来た。前方の山中ではゴルフ場の造成工事が行われていた。柳生陣屋跡で休憩していたら、片足のない男性が現れ、柳生にまつわる昔話を色々聞かせてくれた。この隻足の郷土史家に御礼をして、小さな峠を一つ越え大柳生へ出る。おふじさんの井戸を覗き、路地の無人売り場に売っていた干し柿を食べながら円成寺へ向かった。【写真上:柳生陣屋跡】



【1998-3-7 笠置駅月ヶ瀬口駅(単独)】
笠置駅横の商工会館庭に車を置かせてもらい歩き出す。笠置橋の袂から木津川左岸の堤防に降りる。自然歩道は、しばらくこの堤防の上を行く。悠然と流れる木津川の流れを見ながら歩いていると、すぐ横をJR関西線の列車が轟音をあげて走り抜けていった。
突然、岸辺の茂みの向こうから若い男女のキャッキャッという嬌声。何ごとかと覗き込んだら川面に数隻のカヌーが浮かんでおり、急流の中でパドルをせわしなく動かしていた。木津川を離れ高山ダムへ向かう。高山ダムから丘陵地帯に開けたお茶畑の中を行く。前方に次回のコースとなる童仙房方面の山々が横たわっていた。【写真右:笠置橋と木津川 石に刻まれたラブ文字はまだ残っているだろうか)】


【1998-3-15 月ヶ瀬口駅和束町原山(単独)】
駅付近に車を置いて歩き出す。押原で国道を横切り童仙房野殿まで長い林道歩きが続く。単調な登りだが、登るに従って見晴らしが効くようになり、延々と歩いてきた室生赤目火山群が峰を連ねているのが見えた。その遠さに感慨を覚えた。
童仙房へ着くと風が強くなった。雪も降って来た。フード付きのコートを頭から被って、風と雪に吹きまくられながら歩いた。やがてコースは、尾根歩きのような感じになった。いたるところにあるお茶畑が周りの山々に溶け込んで歩いていて飽きない。原山に近づいた頃、はるか下の県道を1時間に1本の路線バスが走っていくのが見えた。原山から路線バスでJR加茂駅へ。疲れた身体にバスの振動が心地よかった。【写真:童仙房の茶畑】



【1998-4-12 和束町原山〜宇治駅(単独)】
4月から遠隔地への出向で早朝からの遠距離通勤が始まった。体調も不調で、季節は春爛漫なのに歩けず、あせる日が続いていた。
原山のバス停近くの空き地に車をデポ、鷲峰山表参道の石柱に迎えられ、ゆっくりとしたペースで歩き始めた。原山の茶畑を登るにつれて、先月歩いた童仙房方面の山々が手にとるように見えてくる。あの山で吹雪かれたのがつい1ヶ月前、この日は暑いほどだった。季節の移り変わりの速さに驚く。【写真:原山の茶畑】

鷲峰山からは長い林道歩きが続き県道へ出る。疲れてきた。くつわ池自然公園の八重桜の下で横になり休息。やがて、壮大な鶏舎が現れると地道になり、再び茶畑などが現れた。白山神社で会った人から、紅葉谷といういいところがあるからと教わりそちらへ回った。谷の流れは汚れていたが、もみじは豊富で、紅葉の季節はさぞかし、と、思われた。
紅葉谷を降りきると目の前に宇治川が現れた。その水量の豊かさに圧倒された。平等院の横を通り宇治駅へ。宇治駅から奈良線で木津駅へ、木津駅で関西線に乗り換え加茂駅へ。加茂駅から路線バスに乗って原山に戻った。バスの揺れが疲れた身体に心地よかった。【写真:宇治川



【1998-4-28 宇治駅〜石山町3丁目(単独)】
宇治川べりの中継点に付いたのが11:20。遅い。この日はここまでたどり着くのが大変だった。宇治川を散策する人々と共に歩き出す。吊橋で対岸へ渡り、最初の目的地炭山を目指す。車が多く、歩いていても味気ない。炭山から醍醐山地の横断にかかる。
まず西笠取へ標高差200m弱を越す。全線舗装道路で単調。近くに射撃場でもあるのか、パンパンと鉄砲の音がうるさかった。憮然とした思いで西笠取へ。ここから、東笠取までまた標高差200mの山越え。車が少ないのが救いだった。最後は岩間寺への山道の登りがまた延々と続く。疲れた身体に250mの登りは応えた。
登りきったところに西国12番札所岩間寺はあった。静かな山の上に由緒あるお寺があり雰囲気はいいのだが、山中に大音量でお経が流されていたのは興ざめだった。岩間寺から、また、舗装道路を坦々と下る。滋賀大学を過ぎた辺りに石山駅行きのバス停があり、ここで路線バスを待つことにした。石山駅から、京都駅で乗り継ぎ宇治駅へ19:00着。すっかり暗くなった夜道を宇治川べりの車デポ地へ。宇治川の夜景が疲れを忘れさせてくれた。【写真:宇治川夜景】


【1998-5-3 田代高原〜石山寺(同行者4人)】
石山寺の駐車場に同行者の車をデポし、信楽町田代へ回る。雨がやまなかったが合羽を着て出発。雨で田代川は増水し、三筋の滝は二筋の滝に変貌していた。やがて小降りになり、林道脇で賑やかに昼食を取る頃には雨は上がっていた。
太神山を下山中、遠く琵琶湖が望まれ一同歓声を挙げた。堰堤の鎧を着ているような山々を見渡しながら太神川へ降りる。川原では、あちこちでバーベーキューが行われ焼肉の匂いが漂ってきた。南郷の洗堰で瀬田川を渡り石山寺へ向かった。【写真:太神山山中】




【1998-5-10 田代高原〜紫香楽宮跡(単独)】
紫香楽宮跡駅前に自転車をデポし田代高原に回る。道路わきの空き地に車を置いて出発。細い地道を、くもの巣を払いながら歩く。あまり人が入ってないようだ。20分ほどで林道に出た。車のほとんど来ない林道を坦々と歩く。あっけなく紫香楽宮跡に出た。
誰もいない。静かだ。コンビニで買った寿司を食っていたら、向かい側のベンチに一人の男性が腰掛けた。敦賀の家を暗いうちに出て、石山寺から歩いてきたという。その意気込みに敬意を表して、グレープフルーツを半分おすそ分けした。【写真右:田代にて】




【1998-5-21 紫香楽宮跡駅甲南町伊勢廻寺(単独)】11:30紫香楽宮跡駅を出発。遅い時間だ。駅を出ると、いきなり階段が続く山道となり、汗が噴出した。隼人川沿いのwalkで一息ついた。山間の静かな林道をしばらく歩く。鶯の鳴き声がどこまでも追いかけてきた。 岩尾池、大沢池、昭和池と池を巡り、上磯尾の里に出る。農家の御婦人が耕運機をうならせて畑仕事をしていた。
明王寺から標識に導かれて草むらの中に入る。蛇を踏みつけないように気を使った。お茶畑、麦畑の中を歩き伊勢廻寺へ。ここで汗にまみれた顔を洗い、自転車をデポした県境峠へ急ぐ。17:00県境着。自転車に飛び乗り甲賀駅へ。17:20の草津線に間に合った。貴生川で紫香楽高原鉄道に乗り換え紫香楽宮跡駅へ。明るいうちに駅に戻れたことに満足感を覚えながら、駅前で残りの食料を平らげた。【写真上左:紫香楽高原鉄道 上右:階段が続く山道】


【1998-5-31 伊勢廻寺〜余野公園(同行4人)】
この日で三重、滋賀、奈良、京都の1府3県にまたがるラウンドが完成する。同行者はいつものご夫人たちとその旦那様。伊勢廻寺で記念写真を撮り、里の人たちの「若い人はうらやましい」との声を背に受けて出発。
滋賀、三重の県境に沿って丘陵地帯を進む。所々草を掻き分けながら進む一幕も。霊山が近くなってきた。木の間越に、特徴ある南部鈴鹿の山々が見え出す。いよいよフィナーレだ。草津線の線路を横切って余野公園へ。ここで同行者は終点。宴会が始まる。自分はほろ酔い気分で、北回り・南回り分岐点まで歩き、ルートをつないだ。【写真:南部鈴鹿の山 左の鞍部がゾロ峠】