(備忘録)東海自然歩道 プレステージ三河の山


1980年夏、突然の吐血。入院輸血。胃のあちこちから出血しているとのことだった。
この夏、所属する山の会は、テーマとして取り上げた伊那谷の集中踏査をすでに始めていたが、山は、どこか遠い世界の出来事になってしまった。好きだった黄色い液体も、この後数年間は胃が受け付けなかった。
山に足が向くようになるまでに3年ほど要した。それも、かってのようなハードな山ができるはずもなく、鈴鹿三河の山を徘徊するようなものだった。
東海自然歩道を歩いてみよう」と、思い立ったのは1984年頃のことだ。それも、全線を歩いてみようという遠大な構想を持ったわけではなく、とりあえず身近な三河の山をボチボチ・・・・・というものだった。
三河大野から寧比曽岳まで歩くのに4年もかかっているのだからのんびりしたものだった。本当に全線を踏破しようと決意するまでには、1991年パラグライダーの事故で腰椎骨折という手ひどい怪我を経て尚数年、三河の山を歩いていたこの頃から約10年の時を経ねばならなかった。


1984-12 三河大野鳳来寺(単独)】
三河大野駅から鳳来寺山を目指したが体調不良で退却。
帰りに鳳来湖で遊ぶ。
【写真上:鳳来湖】






【1985-10-10 鳳来寺山周遊(単独)】
夜遅く表参道前の駐車場に着き、そのまま車中泊。翌朝薄暗いうちに出発、杉林の古木の中に続く1425段の表参道を登った。一汗かいて本堂着。本堂前のベンチで本を読みふけっている一人の若い男がいた。
はしごなどでよく整備された道を奥の院へ向かう。奥の院から天狗岩、東照宮と周遊した。東照宮へ来て一思案。前年12月に歩いた道につなげるべく行者岩方面へ降りてみることにする。帰途、行者岩を巻かずに登った。鳳来寺本堂に戻り、表参道の階段を駆け足で降りた。9:10駐車場着。汗を拭いていると、土産物屋からおばさんが現れて、駐車場代金300円を徴収された。【写真右:天狗岩辺り】



【1985-10-26 棚山高原〜宇蓮山(単独)】
川売林道の終点に20:45着。テントを持って夜のうちに棚山まで登る計画をやめ、林道の傍らにテントを張った。翌朝、夜明け前の黎明の山道を登る。6:25棚山高原キャンプ場着。
鳳来寺山への道はよく整備されていた。8:10鳳来寺山着。しばらく休んで往路を引き返した。【写真:玖老勢峠にて】

1984-10 海老〜宇蓮山(同行一人)】
勤務先の会社山岳部ザイル祭りに同行。奥三河海老集落から大勢で棚山キャンプ場へ。棚山高原で楽しい一夜を過ごした。
翌朝、二日酔いで寝ている連中を置いて、I君と宇蓮山を往復した。
【写真:棚山高原からまだ明けやらぬく玖老勢の里を俯瞰した】






【1985-11-10 仏坂峠〜宇蓮山(単独)】
前夜、仏坂トンネル手前の空き地にテントを張った。新城で仕入れた焼酎を飲んでいると、時々思い出したように車が通り過ぎていった。6:30小雨がぱらつく中を仏坂峠に向かう。稜線に出れば意外と見晴らしもよく、黄葉も盛りであった。
7:20海老峠。8:22宇蓮山。雨が本降りになってきた。往路を引き返す。やがて雨も上がった。尾根上に設けられた展望台に腰をおろして、秋の山にしばし酔う。雲海に浮かぶ三河のも、見下ろす四谷集落の眺めも一服の絵だった。仏坂峠の地蔵さんに賽銭をあげて下山。【写真:霧に浮かぶ三河の山】




【1987-6-21 四谷〜鞍掛山(単独)】
早朝に家を出て四谷を目指す。8:15四谷をスタート。この日は雨を覚悟していたが好天に恵まれた。人家の庭先を掠めて通り、千枚田の上縁を抜けて鞍掛山の山腹をのんびりと歩く。うっそうとした杉林を過ぎると傾斜が強くなり9:30鞍掛山の山頂に付いた。
展望を楽しんだ後、馬桶岩という所に寄り、その奇岩を見て下山。下山後、仏坂峠下までのコースをつないで帰名。【写真:鞍掛山より岩古谷山方面を展望する】




【1987-6-14 岩古谷山〜鞍掛山(単独)】
堤石トンネルの手前に車を置き出発。奇岩、奇峰に見とれながら急な階段を登った。吊橋みたいなものを渡ると階段は終わり、そこに岩古谷城址という看板があった。こんな絶壁の上にどうやって築城したのか?
10:00岩古谷山山頂。そこで「自然歩道巡視員」の腕章をつけたKさんという御老人に会いしばらく話し込む。後日写真を送ったら丁重な返事が届いた。鞍掛山への行程は、いきなり垂直に近い20mほどのはハシゴを降りることから始まった。鞍掛山までは激しい起伏の連続。12:50鞍掛山着。
びわくぼ峠に戻り塩津温泉目指して下山。所々にKさんの手によるものと思われる案内板があった。
見上げると障子岩が頭上に覆いかぶさらんばかりであった。13:50塩津温泉。車もめったに来ない道を和市に向かう。今度は御殿岩が頭上に覆いかぶさってきた。【写真:岩古谷山山頂にて】




【1987-8-2 松戸橋〜堤石トンネル(単独)】
11:15小雨模様の松戸橋をスタート。真夏なのに涼しい一日だった。福田寺へ寄り武田信玄の墓に詣でる。信玄の墓もひっそり雨に濡れていた。
自然歩道は田口の町並みをはずれ、山際の小道にコース設定されている。静かな山道を傘をさして歩く。やがて国道247に合流。ここで標識を見落としてしまい、添沢温泉まで行ってしまった。
間違いに気づき小松へ出る。相変わらず雨が降り、霧で見通しは効かないが落ち着いた風情の山里を行く。鹿島山の山腹を巻くように湿った山道を行くと林道に出、その先に神社があった。境内には三河地方最大という杉の木があった。
堤石トンネルのバス停に14:40着。トンネルから出てきた路線バスに乗客は一人もなく、無人のバスにやおら乗り込む。終点田口で降り、松戸橋までまた歩いた。【写真:福田寺】

【1988-10-30 松戸橋〜段戸湖(単独)】
8:00段戸湖のほとりに自転車をデポして、車で松戸橋に戻る。橋の袂に車を置いて、自然歩道に入った。
吊橋を渡って、寒狭川沿いに続く地道を行く。この道は廃線となった田口林用軌道の跡だそうだ。
気持ちのよい道を通って大名倉集落へ。人々が稲の収穫に忙しく働いていた。たわわに実った柿の実が紅い。
静かな山旅と紅葉を満喫して12:40段戸湖に着いた。

デポした自転車に乗り県道33を走る。最初2kmほどは登りだが、その後に600mのdown-hillが待っていた。
山はまさに紅葉の最盛期。一気に下ってしまうのが惜しく、何回も止まって景色を楽しんだ。
【写真:大名倉集落】









【1988-11-6 大多賀峠〜段戸湖(単独)】
前の週と同じ場所、段戸湖のほとりに自転車をデポし大多賀峠へ向かう。峠近くへ車を置き寧比曽岳へ。45分で頂上へ着いた。遠くに白く輝く木曽山脈が望めた。
急斜面を一気に下る。前方に見覚えのある大きなアンテナが建つ山がある。タラの芽を取りによく通った出来山だ。急斜面が終わると平坦な道が続き、エンジンの音が山中に響いてきた。伐採した杉を運び出しているのだ。この辺りは「生産の山」という印象だ。
やがて風景は原生林へと移り変わる。裏谷原生林の始まりだ。広大な原生林に堪能し段戸湖へ。大多賀の里まで、再び爽快なdown-hillを楽しんだ。【写真:裏谷原生林】