(備忘録)東海自然歩道ステージ6 三河大野から田貫湖へ


ステージ6は三河大野から駿河の国をほぼ真直ぐに東へ歩きます。大井川を越える辺りから自宅からの距離も遠くなり出し、なかなか行程が捗りません。「定年になる前に終点高尾山までを歩こう」静岡の山の中をを歩きながら、そう心に決めました。山里の中を延々と歩くコースもあります。宿泊を提供していただいた大日山金剛院様にはほんとにお世話になりました。ご縁があり、おばば様とのお付き合いは今でも続いています。


【1999-10-2 三河大野〜熊の里(同行者4人)】
6:30名古屋を出発。熊(くんま)に同行者の車をデポして三河大野に戻り、スタートしたのが10:45だった。宇連川に懸かる吊橋で会った人と話をする。「今から熊まで?」その人は驚いていた。
山越えが何回もある20km近い道のりは確かに長かった。睦平までまず一山越す。睦平から鉛山峠までまた長い登りが続いた。その上10月というのに暑いこと!。風がそよともなく汗が噴出した。鉛山峠から渓流沿いに下っていくと阿寺の七滝に出た。
滝から胸を突く急登でまた一汗。山慣れないAさんが大変そうだった。その後は順調に距離を稼ぐ。彼岸花が咲き乱れる山里を通り抜け愛知・静岡の県境に出た。ここに休憩施設があり、みな思い思いの姿勢でベンチに横たわった。山腹を等高線に沿って歩き尾根を越す頃、山々は夕焼けに染まり始めていた。出発がもう30分遅れていたら、ここから始まった雑草の生い茂る山道に難渋したかもしれない。林道に出て一安心。懐中電気で足下を照らしながら熊の里へ急いだ。【写真:阿寺の七滝】



【1999-10-9 熊〜秋葉ダム(同行一人)】
前夜、道の駅「くんまの里」でテントを張る。翌朝7:30出発。街道筋の面影を残す熊の里から山の中へと入ってゆく。標高は徐々に高くなり、峰、高平、柴、倉野、石打と山里を辿って歩く。秋葉街道はそんな山里をつないで伸びていた。
そんな街道筋に面した1軒の家の戸が開け放たれ、一人の画家が目の前、彼方に連なる山々を描いていた。「ここの風景はいつまで見ていても飽きません」と言う画家の言葉を背に受けて初秋の秋葉街道をさらに進んだ。朝の山の眺めは爽やかだった。
石打から茶畑を下って市ノ瀬へ。秋葉ダム11:45着。バスの時間まで2時間もあるのでダムの堰堤へ行き、芝生の上でひと眠りした。路線バスで西鹿島駅へ出、再び路線バスでくんまの里へ戻った。【写真上:くんまの里】


【1999-10-16 秋葉ダム〜秋葉神社下社(同行2人)】
前夜遅く秋葉ダムに到着。目をつけておいた堰堤横の緑地にテントを張り宴会。翌朝、寝不足気味。この日は土曜日とて、集団登校の子供たちが「こんなとこにテント張ってるぅ」、と言って、賑やかに通り過ぎていった。
気田川に沿って歩き出す。この日は標高800mを稼がなくてはならない。山道に入ると橙色の沢蟹がたくさん居た。踏み潰さないように気をつける。一汗かいた頃車道と行き交った。やがて、巨大な鳥居がある山頂駐車場へ。真新しい本殿に参拝し、お札を買い求め、遠く駿河湾を望みながら昼食とした。表参道を下社へ下山。秋葉橋から路線バスで西鹿島駅へ出る。秋葉ダムへ帰るバスはかなり待ち時間が有ったのでタクシーでダムへ戻った。ダム近くの村営トロン温泉に浸かりに行く。村おこしの温泉にはほかに客はなく、のんびりと湯に浸かった。【写真上:秋葉ダム】



【2000-4-30〜5-1 秋葉神社家山駅(同行一人・支援一人)】
夜の宴会だけ参加するという山の後輩I君に秋葉神社まで送ってもらうことになった。犬居で地酒を仕入れ、かねて目をつけておいた秋葉神社下社前の気田川のキャンプ場へ向かう。目の前を広く穏やかに蛇行する気田川。頭上には満開の八重桜。そして何よりも静かだった。最高のテン場で夜遅くまで宴会が続いた。【写真右:気田川キャンプ場】
翌朝、I君の見送りを受けて金剛院までの長い道のりが始まった。まずは犬居城址を目指す。思ったよりup-downがあり一汗かいた。

犬居橋を渡り山里へ入ってゆく。和泉平を始め、山里には花があふれていた。石楠花、さつき、木蓮ツツジ、そしていたるところにシャガの花。山々に囲まれたflower-roadが続いた。新芽の緑が目にまぶしいお茶畑のはるか向こうに春埜山が望まれた。まだまだ遠い。いくつもの山里を訪ねなければあの山に近づけない。【写真右:点在する山里とを訪ねて】
我々にはこの「いくつもの山里を訪ねなければならない」ということが大いなる楽しみだった。道端には山の恵みウド、山椒などが自生しており、ありがたくいただくことにした。

大時から急な山道となった。一度林道に出たがまたすぐ山道となる。春埜山が近づいてきたのだ。山頂一帯の林道はダンプが走り回っていた。その砂塵を避けるようにして山頂園地に着いた。よく整備された園地でここも八重桜が満開だった。【写真右:春埜山山頂園地】
春埜山からしばらく行くと山道に導かれ、一気に登ると鳥居山931m山頂だった。ここまでくれば後は下るだけ。明るいうちに金剛院へ着く目処が立ち一安心。桧の幼木の香りにむせながら平松峠へ。峠から金剛院まで1.5km。緩やかな登りが疲れた身体に応える。
お寺の建物が見え出すと大きな白犬(アルキメデスという名があることを後で知った)が駆け寄ってきて我々の臭いを嗅ぎ回った。アルキメデスに先導されてお寺へ。そこで畑仕事をされている方がおばば様だった。道すがら採取してきた山菜をお土産に進呈し、粗末な夕食の準備をしていたら、おばば様が調理したウドを差し入れて下さった。広い宿坊の部屋でコタツに足を突っ込み、相棒持参のバーボンを飲みながら、楽しかった一日を回顧するうちに2人とも寝てしまった。

夜半に一雨降った。前夜おばば様が「本堂の屋根に降った雨は、西側は天竜川に流れ東側は大井川に流れる」と言っていたのを思い出した。しっとりとした尾根道には杉の巨木が連なっていた。夕べおばば様が自慢した杉の木だ。
市井平から家山川に出た。楽しみにしていた野森ノ池の木橋は腐食が激しく通行止めになっていた。家山駅から親切な人の車で川根温泉へ。温泉で汗を流し笹間渡駅から大井川鉄道で金谷へ。金谷からJRで掛川へ。掛川から新幹線の座席に身を沈め、昨夜の残りのバーボンを平らげた。【写真右:朝、宿坊で】


【2001-1-6 家山駅静岡県蔵田(単独)】
やっと大井川を渡る日が来た。前日東京へ帰る次男を静岡駅まで送り、そのまま道の駅川根温泉まで行き車中泊。このころ愛飲していた「剣菱」を楽しみ寝袋に潜り込んだ。
翌朝、家山駅の駐車場(安かった記憶あり)に車を入れ出発。駿遠橋で大井川を渡り、身成川沿いの静かな道をたんたんと歩く。
身成川最奥の集落上河内で橋を渡ると山道となり、ほどなく、見渡す限り山の斜面に展開する茶畑に出た。茶畑の間を縫うようにして登る。畑仕事をしていた人に尋ねたら「お高根さんは3時間ぐらいだ」とのこと。まだまだ道は遠い。見晴らしのよい笑い仏で、過ぎ来たりし西の山々を望みながらしばし休憩。

笹間下で吊橋を渡り高根山の登りにかかる。始めは林道歩き。左手に赤石山脈の前衛峰か白く輝く山が見えた。山道に変わり尾根を行くとはるか前方に富士山が見えた。まだまだ遠い。あそこまでたどり着くには、まだいくつ山を越えねばならないことか。
立ち木に刻まれた熊の爪痕がいくつかあった。気にしていたが高根山山頂近くで休んでいた時、真下でがさがさという物音がした。緊張の数分。物音は急速に下のほうへ移動して行った。高根山を駆けるようにして通過。走るようにして林道へ出た。息せき切って歩くうちに、鼻崎の大杉に見守られているような蔵田へ出た。蔵田から静鉄バスで藤枝へ。藤枝からJRで金谷へ。金谷から大井川鉄道で家山へ戻った。もう一度川根温泉に向かい汗を流した。【写真上:自然歩道歩きで初めて見えた富士山】


【2001-5-1 蔵田〜寺島(単独)】
前夜22:00予定していた蔵田観光駐車場に着いた。よく冷えたビールと剣菱を楽しむ。ここは標高450mの山里。久しぶりに夜空の星を満喫した。
翌朝、顔に当たる朝日で目が覚めた。気持ちよい目覚めだったが少し寝過ごしたようだ。寺島を予定したバスに乗らないと帰れなくなってしまう。蔵田から久能尾までは舗装された県道を歩くことになるが車が少なくありがたかった。
時間が気になって休む気が起こらない。宇嶺の滝で費やした15分を後悔しながら、足を引きずるようにして久能尾へ。ここから標高差300mの登りが待ち構えている。休みもそこそこに墓地の裏手から登り始めた。順調に登りきり、等高線に沿って進んでいくと茶畑が現れた。旧川根街道だ。新茶の緑が目にまぶしい。藁科川を吊橋で渡りバス停へ。バス停にフル装備の若者が一人。「今日はどこかでテントを張ります」と言って、大山の方へ向かって行った。静鉄バスで静岡駅へ。静岡駅からJRで藤枝へ。藤枝からまた静鉄バスで蔵田へ戻った。蔵田から、だいぶ遠いが再び川根温泉へ向かい汗を流した。【写真上:旧川根街道から寺島へ降りると一面の茶畑が】



【2001-6-9 静岡市寺島〜谷沢(単独)】
前夜、1号線の道の駅「宇津ノ谷峠」で車中泊。翌朝藁科川を北上し車をデポする場所を探していたら、近くに居たおばさんが「ここに停めな」と言って空き地を貸してくれた。
大山までは標高差800m。全線舗装道路。車はほとんど通らなかった。汗にまみれて黙々と歩く。単調なので道端の花などを写しながら歩く。山頂近くでよく熟れた木苺に恵まれ、山の幸を御馳走になった。山頂は電力会社の巨大な施設に占領され、味も素っ気もない。今にも降り出しそうな天候で視界も悪かった。
下山路は一転して急な山道となった。急な杉林の中をどんどん下る。体中から汗が噴出す。水見色峠で一息入れ支尾根の下りにかかった。ここで初めて霧の中にぼんやりと浮かぶ大山を見た。いい山なのに、人手が加わったばかりに魅力が薄れ惜しいことだと思った。林道をのんびりと谷沢のバス停に向かった。この日は一人も会わなかった。谷沢から静鉄バスで静岡駅へ出、再びバスで寺島に戻った。数年前、静岡駅観光案内所でもらったバス路線図が役に立っている。【写真上:坂本川を遡って大山へ】


【2001-8-18 静岡市谷沢〜安倍川曙橋(単独)】
暑い日が続いていた。この中途半端な距離をつなぐために20:00ころ家を出たが、どうも乗り気がしない。お盆休みも残り少ないし、腰椎の状態もよくない。家でゆっくり休んでいたい、という誘惑が強く、なんどか引き返そうとしたが結局アクセルを踏み続け、1号線の道の駅「宇津ノ谷峠」で車中泊となった。
谷沢から足久保川を少し下り、油山峠へ向かう。ホテル裏の駐車場から山道になるがだいぶ荒れていた。一汗かいて油山峠へ。吹きぬける風が心地よい。油山温泉に下る下山道も荒れていた。雑草も伸び放題。荒れた山道を下るうちに茶畑が現れ林道に出た。鄙びた油山温泉宿を数軒見送り、穂を垂れ始めた稲穂を見ながら歩くうちに曙橋に着いた。デポした自転車に乗り安倍川沿いに走るが体力が落ちているのか、わずかな登りでもペダルがこげず、押して歩いた。【写真上:油山峠】


【2001-10-6・7 安倍川曙橋〜富士川井出(同行2人)】
安倍川から富士川へ。竜爪山と徳間峠を越える2日間の山旅は、コース間違いの分も含めると70000歩に及ぶ長い山旅となった。2泊2日に渡って付き合ってくれたY夫妻に感謝。
5日の夜1号線の道の駅「宇津ノ谷峠」でテントを張り、刺身を肴に2日間の山旅の無事を祈った。
翌朝、8月に自転車をデポした曙橋の袂に、今度は車をデポして出発。安倍川を渡り竜爪山の登りにかかった。山肌一面に広がる茶畑の中を登る。高度を上げるにしたがって、大きく蛇行して流れる安倍川の流れが見え出した。
茶畑を過ぎると殺風景な杉林が続き、杉林を抜けると自然林になった。曙橋から3時間で山頂に着いた。期待していた富士山は雲の中でがっかり。山頂にいた人に「お花畑がある」と教えられ行ってみると「とりかぶと」や「霜柱」などという花があった。
穂積神社に下って、境内の片隅にある標識を見「あ、こちらだ」と言って、何の疑いもなく標識の示す方向へどんどん下る。かなり下って里近くなってから現在位置を確認しようと地図を広げた。ところが?おかしい?太陽があるべき方向と反対の位置にある!?。

穂積神社からよく確認もせずに180度反対方向に降りてしまったことに気づく。高度さ500mを登り返すには時間的にも体力的にも辛いものがある。途方にくれたが、たまたま山の清水を汲みに来ていた人に出会い、理由を説明し、頼み込んで穂積神社まで送り返してもらった。神社までは林道が続いておりその偶然に、親切に送ってくれた人ともどもに感謝した。
穂積神社から林道をわき目もふらずに歩き、薄暗くなる頃この日の宿「老人センター八幡温泉」に着いた。そこは文字通り「老人センター」だった。廊下で老人たちが夜遅くまで花札に興ずる中、冷えた仕出し弁当を出された3人は憮然として、20畳ほどの広い部屋で思い思いの格好で布団にもぐった。【写真右:茶畑の中を登る】


翌朝6:00に宿を出て興津川沿いに歩く。予定通り田代峠をショートカットして徳間峠を越えることにした。興津川を吊橋で渡るとしっとりとした山道となった。あまり歩かれていないようだったが特に危険な場所もなく、石仏様に迎えられて徳間峠に着いた。かっては武田氏の軍用道路であり、数々の歴史を秘めているであろうこの峠道が廃道になる日も近いのではないかと思った。
峠で身体に付いた蛭退治に追われた。山道は林道になり上村に着く。ここからまた300mほどの登りが待ち構えている。ところが登り口がびっしりと草むらに覆われ取り付くことが出来ない。あきらめて福士川沿いに富沢まで歩くことにする。
延々と車道歩きを続けうんざりする頃富士川に懸かる富栄橋に着いた。富士川の流れに引きずられるようにして身延線井出駅へ。ホームでザックを枕に寝転がり、もう歩かなくてよい幸せに浸った。【写真上:興津川沿いの自然歩道】


【2002-5-1・2 井出駅〜田貫湖(同行3人)】
前夜、車2台で出発。田貫湖湖畔で幕営。雨模様だった。
翌朝、テントから出てみると、霧の向こうに富士山がぼんやりと浮かんでいた。田貫湖駐車場に車を1台デポし、井出駅へ向かう。井出駅横の駐車場に車を置いて、身延線の踏切を渡り、2日間の山旅が始まった。
思親山までは標高差900m。登るにつれて蛇行する富士川が視界に入ってくる。対岸にはいつか登りたいと思っている篠井山が上半分雲に隠れていた。
新緑の登山道は山菜が豊富だった。ウド、アザミ、ギボシ、蕗。思親山山頂には新芽をつけたタラもあった。豊かな山の恵みをせっせとリュックに詰め込んだ。
楽しみにしていた山頂からの富士山は雲の中だった。雲の中にある大きな富士山を創造して佐野峠へ下る。峠から新芽を吹いた茶畑が続く上佐野の集落に出た。
この日の泊まりは南部町が管理する佐野清涼荘だ。泊り客は我々4人のみ。自炊が原則だが、風呂は清潔で広く調味料も揃っていた。鍋もフライパンもある。道すがら採取してきた山菜で、Y婦人が山盛り天麩羅を揚げてくれた。すぐ近くに酒を販売している家があり、なくなれば買いに走った。宴会は夜遅くまで続いた。



朝、ありがたいことに酔いは収まっていた。テレビの天気予報は山形県地方の降水確率が0%であることを伝えていた。今日こそは富士山が見える、と、茶畑の中を歩き始める。
佐野川を渡って山道に入る。この日は標高1000mを稼がなくてはならない。体調はあまりよくなかったが、1000mの登りが苦にはならないほど、山の雰囲気がよかった。あふれる緑と静かさ、途切れることのない鶯の鳴き声。
待望の稜線に出る。富士山は、雲の中だった。気を取り直して天子ヶ岳を往復。長者ヶ岳を目指す頃に雲が切れ始め富士山が見え出した。長者ヶ岳の山頂でじっと見つめる我々の期待に応えるかのように、富士山は徐々に雲のベールを脱ぎだした。
田貫湖目指して下山する頃には、富士山はその広大な裾野とともに全容を現した。そして、田貫湖湖畔で寝転んでみた逆さ富士には、もう何も欠けるものはなかった。【写真右:上佐野】