(備忘録)旧中仙道徒歩の旅-1(ステージ1、鵜沼から下諏訪へ)


京都三条大橋から江戸日本橋へ、旧中仙道を歩く旅を思いついた。その旅に密かな願いを潜ませた。それは、外の世界を見ようとしない長男に、歩くことによって、少しでも外の世界からの刺激を受けてもらうことだったが、その目的が果たされなかったようだ。
とにかく、図書館で旧中仙道の詳細な案内図を見つけたとき、この旅が無事に完成することは確信した。「ステージ1」は、ほとんど家族と歩いた鵜沼宿から下諏訪宿までとし、まとめてみた。主役はかみさんだ。


【2004-2-1 鵜沼宿美濃太田宿(同行2人)】
名鉄鵜沼駅前の駐車場に車をおき出発。国道21を横切って鵜沼の森を目指す。旧中仙道といっても特に標識があるわけじゃない。地図とにらめっこの歩行が続く。鵜沼の森から国道21へ出、しばらく国道を歩く。城山からは木曽川の堤防が歩行者用に整備されている。この堤防の路は「ロマンチック街道」と名付けられていた。
車にも煩わされず美濃太田宿へ。JRで鵜沼に戻った。それにしても坂祝界隈は懐かしかった。クレーム処理のため、2年間に渡り100回近くパジェロ製造へ通った道だ。【写真:坂祝駅付近のロマンチック街道】

【2004-3-7 美濃太田宿〜御嵩宿(同行2人)】
美濃太田宿観光駐車場へ車をおき出発。大田橋までは前回に続いてロマンチック街道を歩く。大田橋からは幹線道路を車とともに歩くことになる。国道を排気ガスを浴びながら歩いた。伏見宿辺りも車に煽られながら歩く。休む場所を探すのに一苦労だった。たまりかねて、車を避けるために諸戸橋を渡り、可児川の堤防へ避難した。可児川に沿って歩き御岳宿へ入った。
春を待ちかねたのか、まだ寒いのに、堤防の草むらの中から蛇が1匹這い出してきた。御嵩から名鉄可児駅へ戻り、可児からタクシーで美濃太田宿へ戻った。【写真:美濃太田宿】



【2004-3-15 細久手宿御嵩宿(同行2人)】
帰りの交通機関(タクシー)のことを考えて、細久手宿から御嵩宿へと逆向きに歩いた。細久手公民館の庭に車を置いて御嵩宿を目指す。このコースは8年前、東海自然歩道で歩いているので懐かしい。平岩から津橋にいたる約2kmは古道が続き、江戸時代にタイムスリップした気分なる。
謡坂の石畳は補修されてきれいな石畳になっていた。整備されすぎて遊歩道然とした感じになってしまったのは惜しい。聖母マリア像に再会し、和泉式部の碑に迎えられて御嵩宿へ着いた。御嵩からタクシーで細久手へ戻った。【写真:謡坂の石畳】


【2004-3-21 細久手宿武並駅(同行一人)】
この日も細久手公民館の庭に車を置いて、今度は東に向けて出発。車がほとんど通らない県道を歩いて弁天池へ。昔のままのたたずまいだった。琵琶峠の石畳を踏んで大くてへ。この静かな宿場町にも土産物店ができたりしていて、8年の間に小さな変化が起きていた。
宿場の外れにある店で買い物をしていたら、自転車の若者が一人十三峠のほうへ登っていった。すぐ後に熟年グループが十三峠から降りてきた。旧中仙道でもこの辺りは静かな人気コースだ。権現山の麓を歩き深萱立場から武並駅へ出る。JRで釜戸駅に戻りタクシーで細久手に戻った。【写真:権現山麓にて、8年前にはなかった石碑】





【2004-4-18 深萱立場〜恵那駅(同行2人)】
深萱立場を正午頃出発。春の日は長い、のんびり行くことにする。槙ヶ根立場までは東海自然歩道と同じコースになる。8年前と同じように春の陽を浴びて静かな山間の道を行く。8年の間に、四谷に旅人のための休憩施設が作られていた。雨ざらしだった乱れ坂の首なし地蔵さんには東屋がかけられていた。
咲き乱れる八重桜を満喫し、西行塚を経て山を降りる。JRの踏切を渡って大井宿に出た。古い宿場街を経て恵那駅に出る。駅前の蕎麦屋に入った。杖を突いた親子の3人連れに、”トイレを借りに来た巡礼”と、勘違いしたのか店の人の扱いはつっけんどんだった。そこで、かみさんがルイヴィトンの財布をチラと見せたら、態度が一変しお客様扱いとなった。駅前の土産物屋で蕗味噌を買い、JRで武並駅に戻り、タクシーで深萱立場に戻った。【写真上:四谷集落】


【2004-4-25 大井宿〜中津川宿(同行2人)】
駅前大通をしばらく南へ進み左へ折れると旧街道に入る。阿木川に鯉のぼりが泳ぐのを見て橋をわたると宿場街の雰囲気が漂ってきた。大井宿本陣跡など昔のままの姿で残されていた。大井宿を出て美濃坂本駅が近くなったところで、体が重かったので中津川まで行くかどうか迷った。
薫風に誘われるままに歩くことにする。左に笠置山、右に恵那山を眺めながら歩く田園地帯の道は爽やかだった。楽しい道が長く続くわけがない。やげて国道19に合流。標識に導かれて狭い路地を抜け中津川市街に残る旧街道に出た。中津川を渡ると宿場街の趣が濃くなった。昔風のたたずまいを見せ商いする店を眺めながら行くうちに駅前大通に出た。(写真:恵那山】


【2004-5-28 中津川宿〜馬篭宿(同行2人)】
中津川宿を出て子野石仏群で石仏様たちに囲まれて昼食。陽射しはもう暑く木陰が嬉しい。静かな街道を落合宿へ向かう。小峠越えが2回ほどあり、汗が額を伝う。体の弱っている相棒が遅れがちだ。遥か前方、山の斜面に馬篭の集落が見える。なかなかの眺めだ。
十曲峠の入り口にある医王寺の本堂へ上がり般若心経を唱えた。十曲峠の石畳を登る。18歳の春に歩いて以来の石畳だ。石畳の道が終わると新茶屋で、ここに「是より北木曽路」の石碑がある。馬篭へ着くと今までの静かさが嘘のように、観光客で一気に喧騒になった。一日中薄曇で恵那山は終日雲の中だった。【写真:「是より北木曽路」碑】


【2004-6-13 馬篭宿〜三留野宿(同行2人)】
馬篭の観光駐車場に車を入れ、大勢の観光客とともに馬篭宿を歩く。馬篭の観光スポットを過ぎると人波は途絶える。しかし、馬篭妻籠間の旧中仙道は人気コースだ。歩みの遅い我々を追い越していく人も何人かいた。爽やかな風が吹きぬける峠で一休み。
18歳で訪れた時、峠は雪で覆われていた。この日、峠は緑で覆われていた。重い腰を上げ、足に優しい旧中仙道を妻籠へ向かう。妻籠では再び大勢の観光客とともに、そぞろ歩く。妻籠を過ぎれば再び静かな山里歩きになった。緑の山里を歩くうちに南木曽のSL公園に出、南木曽駅に着いた。駅前から路線バスで馬篭へ帰った。【写真:馬篭



【2004-7-11 三留野宿野尻宿(同行一人)】
朝、起きてみると北風が爽やかで気持ちがよい。前夜、雨が降ったためこの日は何も計画していなかった。しかし、こんな爽やかな日に歩かないという手はない。急遽、中継点である南木曽駅まで車を走らせた。三留野宿の雰囲気に浸りながら宿場外れまで行くと、そこが山周り「歴史の道」との分岐点だった。
和宮が通ったというその道は別の日に譲り、木曽川沿いに歩くことにする。歩道が整備されていたとはいえ、幹線道路を歩くのは楽しくない。時々現れる合歓の花に気を紛らわせた。十二兼駅付近で国道と離れ、騒音と振動と排気ガスから開放され一息つく。爽やかといっても七月だ。汗にまみれて無人の駅舎で一休み。その後もJRの線路と付かず離れず歩き野尻宿へ向かう。お盆の準備のために連ねられた赤い提灯に迎えられ野尻主宿へ入った。【写真上:野尻宿


【2004-10-15 野尻宿須原宿(同行2人)】
野尻駅前の公民館に車を置かせてもらい出発。線路沿いにしばらく歩くと、やがて国道脇の歩道歩きとなった。車の轟音とともに歩くことになるが、碧い木曽川の流れ、青空にくっきりとスカイラインを見せる木曽の山々に救われた。
大桑駅前から国道を離れ山里へ向かう。天長寺でご詠歌を聞きながら昼食。保育園児が秋の陽を浴びて乾布摩擦しているのを眺めながら岩出観音へ。高見にあるお堂に上がり、傾きかけた秋の陽射しを受ける木曽谷の眺めを楽しむ。般若心経を納経して岩出観音を後にし須原宿へ向かった。【写真:須原宿全景】


【2004-10-22 三留野宿野尻宿(同行一人)】
三留野宿から野尻宿へ今度は山沿いのコースを歩く。江戸へ向かう和宮が通ったという「歴史の道」だ。このころ体調は悪かった。累積標高差500mはあるこのコースを午後立ちで、懐中電灯も持たずにふらっと出かけてしまった。行く先々に山里があるとはいえ、一歩間違えれば山中で立ち往生し、里の人に迷惑をかけるところだった。「秋の日はつるべ落とし」なのだから。
与川に懸かる橋の袂へ出て迷った。標識に従って旧道を歩くか、林道を歩いて時間を稼ぐか。迫る日没の恐怖は田圃の畦道の中に消えようとしている旧道を諦めさせた。与川に沿って林道をひたすら歩く。相棒もがんばった。猿の集団が周りでうるさい。根ノ上峠に夕陽が残るうちに着くことができ一安心。足下が暗くなる頃、野尻宿へついた。灯りがつき始めた古い町並みを、余韻に浸りながら野尻駅へ向かった。{写真上:須合平集落】




2004-10-24 須原宿倉本駅(同行2人)】
須原駅前に車を置き出発。手元の資料は国道を歩いているが、車の轟音とともに歩くのを避けるため、木曽川の対岸を歩くことにした。須原宿の路地を抜けて国道に出、橋をわたって木曽川の右岸に出る。この日は大桑村のお祭りらしく、民族資料館の辺りは賑やかだった。
木曽川右岸には25000図にも道路標示はないが砂利道が続いていた。どんどん高度を上げるので不安になったが、時々現れる「中部北陸自然歩道」なる標識に”この道を行けば倉本に出るんだろう”と、元気付けられた。道はやがて下り基調になり、集落が現れ一安心。木曽川を渡りなおしたところは「ドライブイン木曽」のすぐ横だった。
【写真上:倉本駅待合室】





【2004-11-5 倉本駅〜上松宿(同行一人)】
この日も出発は午後だった。倉本駅近くの田圃の空き地に車をおき。12:20出発。手元の資料はやはり国道を歩いているが、車の喧騒を避けるため諸橋の吊橋を渡って木曽川の右岸に出た。この吊橋、踏み板が破れていて遥か下の激流が破れ板の間からよく見える。怖がる相棒は途中で立ち止まってしまった。
この辺りも25000図に道路標示はないが、立派な舗装道路ができていた。車はほとんど通らない。途中から上松発電所へ降りなければならない。そのルーと探すのに一苦労。しばらく右往左往した。吊橋で再び木曽川を渡り、木曽特養老人ホームを経て上松宿へ出た。途中、滑川を渡る橋の上から、紅葉に輝く山肌越しに白く光る木曽の峰が垣間見えた。【写真右:上松宿越前屋】


【2004-11-20 上松宿〜木曽福島宿(同行2人)】

上松駅前の駐車場に車を入れ出発。上松宿の古い家並みを抜け、この日も木曽川の右岸に出た。車の少ない車道を紅葉に歓声を挙げながら行く。元橋手前の空色の狭い橋で一度国道に出、元橋で再び右岸に渡りなおし、そのまま木曽福島宿へ出た。終日、好天に恵まれ木曽路の秋を満喫した。
木曽福島駅で昼食のため入った店の料理はひどかった。脂ばかりのトンカツと、生臭い秋刀魚のフライでしばらく腹が変になった。こんな商売をしているから客が寄り付かなくなるのだろう。駅前の土産物街に人通りはなかった。
JRで上松に戻る。上松駅前の駐車場は5時間停めたのに170円だった。【写真上:狭い空色の橋】


【2005-3-27 木曽福島宿〜薮原宿(同行一人)】
木曽福島宿は木曽谷最大の観光地だ。見所も多い。福島関所跡を後にして原野に向かう。なるべく国道を離れて歩くようにした。原野から宮ノ越にかけて田園地帯を歩く。田圃のあちこちに残雪が残っていたが、畦道には福寿草が満開で春が近いことを知らせていた。ふきのとうもあちこちに顔を出しており採集に忙しく行程は捗らなかった。巴御前伝説が残る巴淵から薮原までは国道歩き。JRで木曽福島に戻った。【写真上:木曽福島宿高札場跡】


【2005-4-27 薮原宿〜木曽平沢(同行一人)】
前夜、道の駅「日吉木曽駒高原」で車中泊。トイレが清潔で、暖房してあり大助かりだった。近くで自転車ツーリストが一人テントを張っていた。翌朝、薮原駅前に車を置き鳥居峠を目指した。
春が遅い木曽路は今が春の盛りだった。新緑に染まった山肌に点在する山桜。芽吹き始めた唐松の向こうには、まだ雪を頂き白く輝く木曽の山。足下に咲く花の名前が相変わらず分からないのは残念だ。鳥居峠の御岳遥拝所からは白い御岳が望めた。薮原でも、奈良井でも、平沢でも桜に囲まれて歩いた。
土産物屋が並ぶ奈良井宿を後にして平沢に向かう。今までは木曽川を遡ってきたが、これからは奈良井川を下ることになる。のんびりと中山道漫歩を楽しんで平沢駅へ。JRで薮原に戻る途中でも、車窓から目に沁みる緑と桜に目を見張った。【写真上:奈良井川沿いに平沢へ】




【2005-5-8 木曽平沢駅日出塩駅(同行一人)】
前夜、道の駅「日吉木曽駒高原」車中泊。平沢の漆記念会館へ車をデポし、平沢の町を歩き始める。ここも、古い建築物がよく保存されていた。平沢の町並みを出ても、中仙道は程よく国道と離れており、騒音と排気ガスに悩まされることは少なかった。
贄川の関所跡でお茶を出していただき一息つく。「是より南木曽路」碑の辺りから国道に沿って歩くことになるが、歩道がしっかりと整備されているのと、唐松の緑をはじめ環境があまりにもよく、車が大して気にならなかった。やがて、静かな日出塩集落の路地を通って日出塩駅へ。疲れていたのでここで打ち切ることにした。【写真上左:贄川関所跡 上右:唐松の下を日出塩へ】



【2005-5-25 日出塩駅塩尻宿(同行一人)】
日出塩地内の外れに車をデポして14:20出発。ずいぶん遅いスタートだ。人通りのない街道筋を歩いていると学校帰りの小学生が三々五々帰ってくる。みんな口々に「こんにわ」と挨拶してくれた。気持ちよく両手を振って人気のない本山宿を通り過ぎる。
牧野の交差点で国道を離れ洗馬宿へ入る。洗馬宿の北の外れが中仙道と善光寺街道との追分だった。「中山一里塚」という交差点で国道を離れ平出遺跡へと向かう。平出遺跡から塩尻駅へ出、JRで日出塩へ戻る。日出塩から長駆、今宵の宿「上諏訪荘」へ向かった。【写真右:本山宿、周りの山もずいぶん低くなった】


【2005-5-26 平出遺跡〜下諏訪宿(同行一人)】
上諏訪荘から平出遺跡に戻り、平出遺跡の駐車場に車を置きスタート。しばらくは葡萄畑や高原野菜の畑の中を行くが、やがて塩尻の市街に入った。下大門交差点で国道153に合流。国道沿いに塩尻宿本陣跡などの遺構があるが、車に煽られて落ち着いて見ていられない。
仲町交差点で国道と別れ、塩尻峠まで静かな旧道が続いた。何と言っても花と緑が豊かなことが嬉しかった。旧塩尻峠へ。林道が交差する峠に昔の面影はないだろうが、車も通らず静かだった。下諏訪宿へは膝が笑い出すような急な下りで始まった。やがて前方に諏訪湖の展望が開けてきた。昔の旅人もこの風景に心を躍らせながら歩いたに違いない。岡谷市街に入っても、旧街道は閑静な住宅街を通って下諏訪駅へ続いていた。
JRで塩尻駅へ戻り、平出遺跡の駐車場に戻った。駐車場のクローバの上に胡坐をかき、近くの葡萄畑、高原野菜畑、遠くの霧が峰連峰を眺めながら2日間の旅に思いを馳せた。帰途、国道19号に車を走らせながら見る木曽谷の一つ一つの風景がすべて懐かしく感じられた。東海自然歩道の時と同じように、中仙道を歩くことによって多くの心の故郷が作られたようだ。【写真上:諏訪湖を眺めながら】