日々が過ぎ行く、まだ元気だ。


11月18日、抗がん剤で疲れた身体を癒すため?諏訪の温泉に向かった。
車の中にBD−1とDAHONを忍ばせて。
宿から見た諏訪湖の夕景。
自転車とランニングびとのメッカのような諏訪湖の夕景。

翌、19日、40年ぶりに松本市街を尋ねた。昔、山の帰りに寄って馬刺しの味を覚えた町だ。
車から自転車を降ろしてポタを始めた。
乗り始めてすぐ前輪をとられて横転。
街中でカラフルなマンホールを見つけ写真をとろうとしたら作動しない。よく見るとボディが変形している。今の転倒で壊れたらしい。
左手が異常に痛くなってきた。ハンドルも握れない。懐かしい女鳥羽川を中心に松本市内のポタリングをもくろんできたが痛さにはかなわず中断。
その日に近所の整形外科に駆けつけた。骨には異常なく捻挫だろうとの事。包帯は10日間ほど巻いていた。



裏庭の柿の実が十分色づいた11月30日、定期診察日だ。診察前に採血とレントゲン撮影。
がん細胞は変化なし。
白血球は正常値に戻ったが赤血球は健康体下限値の70%くらい。腎機能値もよくないらしい。「次の抗がん剤は腎臓に優しいものにしましょう」と、担当医。
心の中で「オレ、もう抗がん剤受ける気はないんです」とつぶやいていた。


12月4日。NPO法人がん患者の会「いずみの会」に初出席。隣に座った若い人は大阪から来ていて、腎臓癌で腎臓を片方切除したが、いまは他に転移しているらしい。
講演会のあと、40人ほどで弁当をつついて懇親会。北海道北見、九州熊本、埼玉、神奈川、横浜、大阪など遠方から来ている人が多い。一人3分を目安に近況報告。3年、5年、10年と生き続けている人も多く勇気付けられる。隣に座った浦和から来た人は同年齢で、「がんはすっかり消えている」と話していた。
いずみの会の生存者は「医者の世界ではあってはならない」ことらしい。
ちなみにこの料理はかなり薄味だった。素材の味が生きているといえば言えるが・・・・。


12月5日、4040クラブの忘年会。総勢11名。
料理は四川料理。懐かしい紹興酒の味を楽しむ。
黒猫さんとモノクロさんが小中学校の後輩だったとは世間は狭い。
裏庭の熟した柿をお土産に持っていった。
忘年会に出られて旨い料理を美味しく食べれて、旨い酒を美味しく飲めるなんて、抗がん剤の副作用に苦しむ数ヶ月前は想像もできなかった。
写真はアントンさんのものを拝借。


12月10日、小春日和。
あまりの気持ちよさに8ヶ月ぶりにロードに乗ってみた。
近くの大高緑地公園。一周約4km、獲得標高55mのコースを4週した。もちろん休み休み。
距離20.3km max40.5km/h Av14.5km
翌日、太ももがやや痛かった。
ぼちぼち慣らしておこうかなと思う。


11月某日、かみさんが金剛院のおばば様から電話があったという。
電話してみる。どうやら、今年かみさんの父親がなくなったので挨拶に送った喪中お知らせのハガキを見て、おいらが死んだと早合点したらしい。
これは今年の春おばば様から届いた山の恵み。
タラの目と、ウドの葉っぱと、しいたけのてんぷらは絶品。
「おばば様、来年も、再来年も山の恵みが届くのを待ってるでね」と、おいら。
春の山菜を楽しみ生き抜くのさ。
おばば様もそのことは分かってくれている。