(備忘録)SHIGE & YO-tya 旧東海道徒歩の旅 ステージⅢ(2006-12〜2007-12 江尻宿〜日本橋)

東海自然歩道、旧中仙道、東海道と飽きもせず、尺取虫のように同じパターンで歩き続けてきた。見知らぬ土地を歩くことが好きだったんだなぁ、と、つくづく思う。現役リタイア後は一気に歩いちゃうことも考えたけど、尺取虫パターンを続けざるを得ない理由もあった。 昔、山へ集中していた頃、”いざりでも山を思う心があれば登山家”という言葉を読んで、妙に納得したことがあった。今は思う。ペダルを漕ぐことができなくなっても、自転車で風を切る愉しみを忘れないうちはいっぱしのサイクリストなんだと。 さぁ急ごう、二度目の日本橋へ。



【2006-12-16 江尻宿〜蒲原宿】
清水駅からしばらく歩くと、西園寺公望の別荘だったという「興津坐漁荘」という資料館があり、入って老人ボランティアの説明を聞いた。昔は目の前が白砂の海岸で遠くに三保の松原も見えたらしい。今は国道の喧騒と巨大な護岸コンクリートに挟まれ、こんなところに居たら鬱になりそうだ。 興津川を渡ると薩侘峠への登りが始まる。頭上を蜜柑を運ぶゴンドラが行き来する急な階段をしばらく登ると、いきなり展望が開け海と富士山が目に飛び込んできた。薩侘峠だった。絵に画いたような風景だが富士山に薄靄がかかり今ひとつだった。
峠から由比宿へ降りるまでの数kmは、富士山と駿河湾を眺めながら蜜柑畑の中を行くパラダイスロードだった。農家の方から大きな蜜柑も頂いた。峠道を下りると、海と背後に迫る山に囲まれた細々と続く油井宿だった。【写真左:由比宿 写真右:薩侘峠への登り】



【2007-2-11 蒲原宿〜吉原宿】
由比川べりの駐車場に車を置き、自転車で中継点の蒲原駅まで走った。蒲原宿にも街道筋にいくつかの資料館があり、観光客で賑わっていた。東名高速道を渡る頃から富士山が秀麗な姿を現した。民家の屋根越しに、庭の木立越しに、街道を曲がったところに、いたるところに富士山は顔を出した。間の宿「岩淵」では真直ぐ伸びる街道の正面に富士山は、でんと構えていた。富士川を渡る時、富士山の前景を遮るものは何もなかった。
富士川を渡って市街に入っても富士山はあちこちから姿を現した。商店街の向こうから、煙突の向こうから、大通りの正面にどかんと姿を現した。富士山を見ながらがんばって吉原駅まで歩いた。JRで蒲原駅に戻り、BD-1とDAHONで蒲原宿のポタリングを楽しんだ。

【2007-4-26 吉原宿〜沼津宿】
吉原駅付近に駐車場がないので田子の浦港方面へ車を走らせた。うまい具合に道路わきに空き地があった。田子の浦といえば白砂と青松のイメージだがどこを見回しても白いコンクリートだけ。そこへ車を置き自転車で中継点である吉原駅へ向かう。13:00出発。
旧街道、巨大な防潮堤、松林の散策路をミックスさせて沼津駅へ向かった。JRで吉原駅へ戻った時はもう薄暗かった。駅にデポした自転車で車に戻り道の駅「富士」へ。ここで教えられて近くの温泉施設「ゆらぎの里」で汗を流した。製糸工場の異臭が鼻をついた。道の駅に戻り車中泊。【写真:伊豆の山々を眺めながら防潮堤を行く】



【2007-4-27 沼津宿〜三島宿】
沼津から三島までは距離も短いので、朝、車中でコーヒーを沸かしてゆっくりくつろぐ。車を停める場所を探して、ロードマップで見つけた千本浜公園へ行ってみた。公園には遠足の子供たちと、平日にもかかわらず大勢の市民が遊びに来ていた。
公園駐車場に車を置きBD-1とDAHONで中継点の沼津駅へ。駅前駐輪場へ自転車を入れ三島駅までの短い距離を歩いた。三島駅からJRで沼津駅へ戻り自転車で千本浜公園へ。時間があったので海岸の護岸道路の上を富士山を見ながらポタリングした。歩くよりも自転車に乗っている時間のほうが長い一日だった。
【写真:沼津宿川廓通り】


【2007-9-15 三島宿〜箱根宿】

箱根越えを共にしてくれる埼玉の新村夫妻と三島駅で合流。雨模様の中、傘をさして箱根の山を目指して出発。雨は次第に上がっていったが格別に蒸し暑い日だった。楽しみにしていた富士山はもちろん雲の中だった。
旧街道は国道1号とつかず離れず、時々国道と交差しながら伸びていた。先日の台風の影響か、樹木が随所で倒れて道を覆い、石畳も一部泥で埋まっていた。暑さの中、汗まみれで標高864mの箱根峠へ着いた。関所跡を見学した後、今宵のねぐらである「老舗」旅館岳衛楼松坂屋へ向かった。芦ノ湖に面する一等地に立地する松坂屋は古色蒼然としていた。あまり豊かとはいえない料理を前に、この日の健闘をねぎらって冷たいビールで乾杯した。
【写真:爽やかな風に吹かれて汗も引く。富士山は見えなかったが駿河の海はよく見えた。ここから最後の登りが始まる】


【2007-9-16 箱根宿〜小田原宿】

夜半に雨音で目が覚めたが宿を出る頃、雨は上がっていた。8:30頃宿を出る。芦ノ湖は深い霧の中にあった。畑宿までは石畳の道を行く。濡れた石畳は滑りやすく気を使った。
畑宿から車道歩きとなった。自転車の若者が大勢登ってきた。その中の一人と話し合っているとMTバイクの熟年がふらふらと登ってきた。ギヤーを一杯落としているので歩くより遅いくらいだ。熟年の男性は若者の父親だった。「こいつはもう2往復目なんですよ」。熟年は息を切らしていた。父親が芦ノ湖へ着くころに息子は3回目の芦ノ湖を眺めているだろうと思った。
暑い日差しに閉口しながら小田原城へ。駅前で、2日間に渡って同行してくれた新村夫妻に感謝して別れる。
【写真:箱根峠への旧道の登り(15日)】






【2007-11-6 小田原宿〜大磯宿】
降りしきる雨の中、東名高速を走り23:30足柄SA着。いつもの如く車中泊をするが、大型車が小型車の駐車スペースに入り込み、保冷車でもないのに夜通しエンジンをかけてうるさいことこの上なし。おかげで一日中眠い目をこすりながら歩くはめとなった。
小田原駅の駐車場に車を入れ10:30出発。旧街道はほとんど国道1号線に呑み込まれていた。ひたすら車とともに歩く。時々旧街道が脇道にそれ静かなたたずまいの道になりホット胸をなでおろした。眠気と足の痛みで二宮駅で打ち切りたかったが、かみさんにハッパをかけられ16:00大磯駅まで18kmを歩いた。JRで小田原駅に戻り箱根新道から芦ノ湖へ出、かんぽの宿「箱根」へ向かった。【写真:小田原宿なりわい交流舘」



【2007-11-7 大磯宿〜藤沢宿
かんぽの宿「箱根」でバイキングの朝食を腹いっぱい入れ大磯へ向かう。富士山は雲の中だった。芦ノ湖を後にして、前日、大磯駅の駅員に聞いておいた大磯港の駐車場に向かった。
旧街道は相変わらず国道1号線に呑み込まれ、またも排気ガスとともに歩くことになった。milletのウオーキングシューズが足に合わない。足が痛くなり我慢の限界にきた。辻堂駅で打ち切りたかったが相棒に尻を叩かれ藤沢駅までがんばった。藤沢駅周辺の喧騒は大都会そのものだ。それに比べてJRで帰着した大磯駅周辺の静かさには心が落ち着くものがあった。【写真:夕闇迫る大磯駅



【2007-12-16 藤沢宿保土ヶ谷宿

前夜、東名愛鷹PAに23:40着。寒い。ウイスキーで身体を温め2:00就寝。いつもの如く夜、何回かトイレに通った。6:30ころ目覚めたがもうひと眠り。8:00頃起床。このひと眠りが効いて体調はよい。大磯港駐車場に車をいれ、大磯駅からJRで中継点の藤沢駅へ。延々と幹線道路歩きが続いた。柏尾町辺りで落ち着いた旧街道になったが、辿るうちに道が畑の中に消えている。開発で寸断されたらしい。庭先の農家の人に道を聞き権太坂へ。境木地蔵尊から権太坂辺りでザックを背負って歩いている人を数人見かけた。明るいうちに保土ヶ谷駅へ到着した。大磯に戻り予約した旅館「大内館」へ入る。風呂で疲れを癒し、御馳走を食べ暖かい布団でぐっすり眠った。【写真:戸塚宿を行く】



【2007-12-17 保土ヶ谷宿蒲田駅
大磯駅からJRで中継点の保土ヶ谷駅へ。旧街道はいくつかの商店街を通り抜けていた。活気に満ちた商店街もあったが寂しいところもあった。しばらく幹線道路歩きが避けられありがたかった。横浜駅西口辺りから幹線道路歩き。魚河岸通りで一息ついたが活気がなかった。鶴見川を渡ると川崎宿。川崎駅近くになると人混みの中を歩くようになる。疲れた足を引きずり蒲田駅までがんばった。相棒の歩数計は34000だった。
【写真:いちば銀座】









2007-12-24 蒲田駅日本橋
いつもの如く、大磯港駐車場に車を置き大磯駅へ急いでいる時携帯が鳴った。「シゲさん、今どこ? 今、蒲田駅にいるの」電話の声はるりちゃんだ。え??? 今日は来ないと思っていたのに・・・・。 実は、歩く日を23日に決めていたが雨だったのでこの日に延ばしたのだが、延期の電話をした時にシゲの早合点で「今日はるりちゃんは来ない」と勝手に決めていたのだ。

大磯駅で合流し平謝りに謝り、気を取り直して歩き始めた。しばらく幹線道路を歩き、鈴ヶ森刑場跡から生活道を歩くことになる。鮫洲商店街では地元商店街のイベントに誘われて、ぜんざいとアイスクリームを御馳走になった。



最後の宿場町品川を過ぎると、やがて前方に巨大なビル群が現れる。現代の品川繁華街だ。
泉岳寺に寄った。100円でローソクを買い四十七士に手向ける。
ビルの谷間から東京タワーなどを眺めながら行くとやがて銀座大通に出た。何とこの日は歩行者天国だった。大通りの中を、大勢の人に混ざりながら二度目の日本橋へ。長い旅がまたひとつ終わった。
東京駅近くの中華料理屋へ入り、3人でささやかな打ち上げ。話が弾んで、大磯港駐車場の門限が19:00であることを忘れていた。
新しい料理が大きな皿に山盛りになっている。店の人に理由を説明し、皿ごと料理を包んでもらった。
大磯駅に向うJR車内でその料理を食べた。まだ温かかった。お店に皿代は請求されなかった。その皿は今でも大事に我が家にしまってある。