巨大地震の前後

とんでもない災害が現実になった。地震津波原発事故。人的被害は一万人を越え、放射能被害は予断を許さない。放射能被害は目に見えない。始まりも終わりも分からない。不気味だ。チェルノブイリの再現にならないことを祈るのみ。
震源地は広がりを見せ、東北関東沖から、東海地方へも迫る様相を見せている。株価は千円単位で下げ日本発の世界不況が懸念されている。日本は瀕死の怪我を負った。買占めに走る人々がその傷口をさらに大きくする。



3月11日 いずみの会事務所訪問
私も去年7月、現代医療からは死の宣告を受けた。肺がん4期。分かりやすく言うと末期がんだ。余命1年余とのこと。もう新しい正月は迎えられないことになる。
萎える気持ちを持ち直し、踏ん張らせてくれたのは、がん患者によるがん患者のための自助組織NPO法人「いずみの会」によるところが大きい。この会に参加し、多くの本を読むにつれ、現代テクノロジー医療のがん治療法に根本的な疑問を持つに至った。
だがそれは手術中断から続いた、抗がん剤副作用の恐ろしさを身を以って体験してしまった後のことだった。

「手術を受けてはいけない」「抗がん剤治療は受けてはいけない」という、安保教授の訴えは読んでいたが,がん告知を受けて間もなく、動揺していた自分は「ガン拠点病院」の勧めに従ってしまった。
さて3月11日、その「いずみの会」事務所を初めて訪ねるためにbianchiを走らせた。自宅から6km。名古屋の古い町並みの一角にある事務所では3人の女性ボランティアが暖かく迎えてくれた。
この小さな事務所を全国各地のガンを患う人たちが訪れたに違いない。自分は幹線道路を避けたこの静かな通りを、自転車で風を切りながら訪問することができる。その幸運を感謝せねば。門天さんありがとう。
正面の白い建物は子供が生まれた病院だ。
家へ帰って昼飯用に焼きソバを作っていると足下がふらついた。いつまでもふらつく。”あれ、脳に転移したのかな?”と思ったら蛍光灯も揺れている。地震らしい。あわててTVをつけたら、「大津波警報発令、予想高さ10m」の文字が目に飛び込んできた。



3月12日醫新の会初参加
醫新の会とは、現代のテクノロジー医療一辺倒に疑問を抱く医者、及び医療関係者、関心のある人たちの集まり。初参加した自分の印象だ。
これは講演者のDr・がOHPで映写したものをコンデジで写した何かの模式図。
氷山にぶつかる寸前のタイタニック号が見えるが、あれが我々だそうだ(そんな説明だったかな?)。貧弱な頭脳では理解するのが難しい。
この模式図を同じ教室で2月に伊勢路を一緒に走ったnonboさんも見ていたことを、翌日のnonboさんのメッセージで知った。あの同じ教室にnonboさんがいたなんて。世間は狭いなぁ。

その会場、愛知県労働文化センターは、この名古屋高層ビル街の向こうにある。自宅からの距離は9km。前日と同じくBIANCHI-LUPOで走る。あぁ、走ることはたのしいなぁ〜。

3月12日 数十年ぶりに好日山荘
3日続けて名古屋の中心部へ自転車を繰り出した。この日は山道具屋好日山荘
この静かな堀川端の水辺散歩コースを経由して繁華街へ。
探し物はなかった。





帰りに白川公園へ寄ってみる。新しいプラネタリウムが何かのオブジェのようだ。プラネタリウムを背景にして若者が訳の分からない踊りの練習をしていた。ここには地震の陰がない(ように思えた)。




3月16日、地産のレモンを求めて農産物センターへ
いずみの会で、がんで死なない人たちに共通しているのは玄米菜食とニンジンジュース。
死なないためにはガンを恐れない気持ちが6割。後の4割は、食生活の改善による体質改善。
で、そのニンジンジュースに混ぜるレモンを求めて、戸田川緑地センターの農産物販売センターを訪ねた。
向かい風が強い。センターの河津桜は5部咲き。風に吹かれて横を向いている。

ジュースにするニンジン、10kg。これでだいたい1週間分。俺は馬か。
馬はガンにならない?



センターでは桜祭りの開催中。強風による寒さのためか、平日のためか、東北で避難している人たちのことを思ってか誰もいない。

ゲットしたソフトボール大のレモン。生産者はこの辺りのおばさん。2個で100円。
これをニンジンジュースの隠し味にして飲む。
4日間の走行距離 67km。
今、ジャスコから帰ってきたかみさんが叫んでいる。
「お父さん、ジャスコにラーメンもカップめんもないよ」
その落ち着き振りが外国から賞賛されている日本人、この名古屋でも買占めに走る人々。どちらも日本人。