桜巡りその2 長良川は春爛漫

この年になれば、ちょっとぐらいきざなことを言ったっていいだろう。長良川長良川鉄道沿線は心の故郷なのだ。不惑を過ぎて始めたスキー。シーズンなると週末の夜はスキーを積んで国道156を走った。定年になってある時期、夏の陽射しに照り付けられながら、川の流れを眺めながら上流へ上流へと歩き続けた。そして知ったスポーツバイクの世界! ここ5.6年は桜の季節に出かけるのが定番になっていた。
それが去年は体調不良で見送り、直後、思いもかけぬがん告知。夏から秋にかけては手術中断、余命告知、抗がん剤投与と落ち込む日々が続いた。今思うとあの時「どれくらい生きられますか?」なんて聞かなきゃよかった。医者も答えちゃいけない。多くの患者は医者の一言が重しになって希望を失い、免疫力をなくして亡くなっていく。それはあくまで西洋現代医療の標準治療を施した時の統計的な数字だ。
ふと思う、彼らの意識の中では、日常的にあまりにも多くの患者の死を見ているので、がん患者の生き死にはあまり興味が無いんじゃないか。この抗がん剤がどこまで効くのか、患者は統計上の一資料でしかないのではないのか? 彼らは手術、放射線治療抗がん剤、この三つしか知らない、知ろうとしない、知る必要性も感じなくなってしまっているのではないか。そうであれば、それは、寂しく残念なことだ。
いかん、いかん、またガンの話になってしまった。言いたかったのは、その暗い日々を過ぎて今、短い距離だけど長良川の桜と共に走れる喜びを語りたかったのさ。桜も散りかけている。さぁ、心の故郷を走ろう。


駅前の狭い駐車場に車を置かせてもらい、おなじみになった改札のおばさんに挨拶してホームへ。さっそく桜のお出迎えだ。こないだは、ホームでドアを開けて待っていた車両に飛び乗ったら反対方向へ走り出してしまった。
例えが違うが、山でも臆病な(慎重な)単独行者は遭難しない。こないだは連れにつられて?確かめもせず反対方向の車両に飛び乗ってしまった。


郡上八幡までの長良川鉄道の旅、春爛漫の窓外の景色を楽しむ。
どこかの駅で
鉄道マニアがこちらを写している。


郡上八幡駅。
ここでほとんどの乗客が降りた。自転車を組み立てているうちにみんな郡上公園のほうへ行ってしまった。
ぽかぽか陽気だ。さぁ、走ろう。
ここから下流へ向って走る。

橋を渡り、右岸の静かな県道を走る。
この細い道を雨の中歩いたなぁ。
すぐ横を長良川鉄道の車両が轟音と共に
通り過ぎて行くのを見ていたものだ。

この景色の中を車両が通りかかればいい絵になるんだが・・・・
2時間に一本の車両じゃ、いつまでも待つわけに行かない。

乙原白山神社の枝垂桜。絵が90度倒れているわけじゃない。
頭上に満開の花をつけた枝が覆いかぶさっている。
感動を絵に表現できないもどかしさ。

神社の境内で近所のおばさんたちが御馳走を食べて花見の会。
オイラのザックの中には朝握ってきた玄米のおにぎりが2個入っているだけ。
こちらをちらちら見ていたので、声がかかればと思ったが反応なし。
こちらからお邪魔するほどずうずうしくしくはない。

しばらく行くと集落の屋根をぬきんでて、
ひときわ立派な桜の大木が見えた。
さっそく寄ってみる。
完璧に満開。

通行止めもなんのその、かるがる突破。

一陣の風で桜吹雪となる。
口を一杯あけて走る。
ひとひらくらい食べれたかな?

清流と桜並木。
いいなぁ。

桜だけじゃない。
土手にはタンポポが一杯だ。

下田橋にて。
ここで今日の行程の約半分。
橋から下流を見渡す。
桃源郷がオイラを待ってる。

桃源郷を走っていると、踏切からチンチンという音。
おっ、長良川鉄道が来るぞ!
それ行けっ!
大矢駅に上り下り両方の車両が停まっている。
やがて、北濃行きが動き出した。
ついてるなぁ。

その北濃行きを見送る。
この踏切を渡って山へ向えば、
一昨年の秋
脂身さんと別れたあと越えた馬越峠だ。 

大矢駅によってみる。
あの山並みに連なるどこかに馬越峠がある。
もう一度越えたいなぁ。

駅前広場。
桜を写していたカメラマンが一人。
彼も去った。
桜は誰も見ていなくても咲く。

その後も桃源郷を流れと共に走る。
山肌を彩る桜に目を奪われながら。

岸辺に咲く桜並木の横を。
風が吹いて花びらが舞えば、
口を一杯にあけて走る。

上河和大橋の袂へ寄る。
7.8年前、長良川歩きの夏、
暑さに閉口して
この桜の木に木陰を求めて
しゃがみこんだ。
この日も同じようにしゃがみこんで、
玄米お握りの残りを平らげた。

ちょっと疲れてきたけど、
こんな風景に励まされて、
走り続け、

小倉公園下の吊橋を渡れば
もうゴールは近い。

うだつの上がる町並みは
平日で観光客も少なく、

店を閉めている土産物屋も多かった。
基本的には下り勾配で
走行距離38km。
走る時間より休む時間のほうが多い、
究極のポタリングだった。
あの重いBianchi-Lupoで美濃市駅から、
終点の北濃駅まで走ったのは数年前。
目標は持ち続けよう、
生きるために。