木曽谷の新緑を見に

去年4月、肺がんがわかって落ち込み、これが最後かもしれないと思って木曽谷を走ってから1年たった(http://d.hatena.ne.jp/shigesan-1943/20100428)
6月の手術中断、7月の末期(ステージⅣ)宣告、夏から秋にかけての臨床試験による抗がん剤治療。がん細胞は期待したほど小さくならず、正常細胞が壊れたおかげで体調不良の日々が続いた。そして知った現代テクノロジー医療だけが全てではないということ。ガンは、ミステリアスな「病気」だ。
以前のように100km、獲得標高1000mを目指して走ることはできないけど、自転車で風を切る時に感じる喜びは以前に増して強い。木曽谷の桜は終わってしまったが、新緑はまだ鮮やかだろう。この日の目覚めは1年に何回あるか分からないほど爽やかな目覚めだった。これは「木曽谷を走ってこい」というお告げに違いない。私は2時間に1本しかない列車に乗るべく坂下駅へ急いだ。

朝飯を食っている暇がないので、炊き立ての一分づき米をパックに詰めて日の丸弁当にした。
これを屏風山PAでいただいた。旨い。

近くの道の駅に車を置いて、坂下駅へ。
ホームで列車を待つ。待つ人3人の静かなホーム。
足の不自由なおじいさんが話しかけてきた。
「日本の煙草が手に入らん」そうだ。
震災で東北地方のタバコ製造会社が壊滅したそうだ。

須原駅で降りる。いつものように人の気配が無い。
駅前に大きな八重桜が。
おお、まだ咲いてるじゃないか。
一陣の風で花びらが舞い散った。


舞い散った花びらは山の水を引いた水槽へ。
そこに木曽ヒノキで作った枡が置いてあった。
心遣いに感謝して清水を飲む。
旨いなぁ〜。


須原宿鄙びたたたずまいを通り過ぎ、
旧街道を岩出観音に向う途中の
お気に入りポイント。
来年は列車の時刻を調べておいて
この絵の中に列車を入れ込もう。


岩出観音の階段から木曽の前山を。
前山でもまだ雪が残っている。
盛りを過ぎたボケの花が風と共に
舞い散っていた。


伊那川橋下流で小さな橋を渡り木曽川右岸へ。
初めて走るエリアだ。
のどかな田舎風景が続く。
畦道みたいに細い道も走った。


大桑ダムの導水菅を眺めて休憩。
15分休んで通った車、
おばさんが乗った軽トラ1台。


水の碧さと、新緑と、
空の青さに見とれる。
山の雪が写しきれていない。
ホワイトバランスで修正できそうだが、
カメラが使いこなせてない。


ここで右岸の車道は行き止まり。
恋路峠は自転車を押せば越えられるんだろうけど、
今はその体力なし。
来年は峠越えに挑戦しようか。


阿寺橋で左岸に渡り、
柿其橋で再び右岸へ戻る。
道端の石仏様が寂しそうだったので、
近くのツツジを花挿しに入れたら
満足そうなお顔になった?


盛りを過ぎた花の中で、元気そうなのを探し、緑の山をバックに収まってもらった。


南木曽天白公園の三つ葉ツツジ群生地。
ここには6種類の三つ葉ツツジが群生しているそうだが、
ほとんど終わっていた。
わずかに残ったつつじを望遠で一杯引き寄せた。




去年と同じ田立駅前で休み、同じように疲れた体を休めた。去年はガンという未知で巨大な魔物の前に立ちすくんでいた感じがあったが今はどうだろうか?、と考え込む。
気が付くとチンチンという踏み切りの警報。おっ、ラッキーだ。中津川行きの列車がホームへ入ってきた。走っている列車を見ると写したくなるものだ。特に田舎では、知り合いが来たようで。この日の走行距離34km。下り基調とはいえ谷筋では登りもけっこうある。満足した一日だった。