1年経過

昨年6月22日の肺がん手術中断からもうすぐ1年がたつ。ガンステージ1からいきなり4へと3段階特進を告げられてこっちもおたおたしたと思う。あの時「後どれくらい生きられるでしょうか?」なんて聞くほうがバカだったよ。医者も答えちゃいけない。”余命を告げられて、その限られた時間に命を燃焼させる”なんてのは所詮物語の世界。告げられた当事者は夜な夜な布団の中で不安に苛まれるのがおちだ。挙句の果てはガンに立ち向かう(この言葉は好きではないが)気力も失せ、免疫力も落ちて、お告げ通りに死んでいく。
医者に患者の命を縮めるそんな言葉を言う権利はない。少しは希望を与える言葉がしゃべれないのか?。そう言えば、この1年間、医者から希望が湧く言葉は一度も聞いたことがない。抗がん剤しか知らない、知ろうとしない医者。抗がん剤に精通すればするほど、希望的なことは言えなくなるのが本音だろうか? 

【精神的支柱を失う】

4月、がん患者の会「いずみの会」の中山会長が亡くなった。50代前半で発病し、四半世紀行き続けてきた生き様と、その4冊の著書は、不安を抱えて難民化するがん患者に希望と勇気を与え続けてきたと思う。
亡くなる前日までいずみの会の事務所に詰めていたらしい。
大往生だ。
会長の最後の言葉を読むと、原子力ムラに巣食う人々が起こした福島原発震災と同じ視野で、抗がん剤のことを捉えていたことがうかがわれる。
個人的に言葉を交わす機会がなかったことが残念だ。
多くのいずみの会会員にとっては精神的支柱が失われた思いだろう。



安曇野シャロムヒュッテへ】
5月28日、安曇野へ。
よく走った懐かしい土地で自転車を積んで行ったが雨。
シャロムヒュッテは常念岳の麓にある、無農薬の玄米と野菜だけでディナーをアレンジする宿。
あいにくの小雨だったが友人と4人で大王わさび田まで17kmのポタ。
BD-1に乗ったかみさんが雨の中こけて、また顔に傷をつけてしまった。
夜、屋根裏部屋でしのつく雨の音を聞きながら眠りに就く。窓の外は闇。遠くにぼんやりと灯が見えた。



【ガン拠点病院を離れる】
5月31日、診察日。胸部腹部CT撮影。瞬時に6.9mmシーベルトの被曝。こんなのを8週間ごとに受けている。
「少し大きななってるようですね。抗がん剤をやりましょう、」とDr・。
効き方も、副作用の出方もやってみなければわからない。手術もできないし、とりあえずやれることは抗がん剤しかないのだ。抗がん剤が効くガンもあるが、非小細胞肺腺ガンは効き目が少ないというのが定説のようだ。
この病院でできることは手術と放射線照射治療と抗がん剤治療だけ。これ以上通う意味が見つけられない。



【川越へ】
10年ぶりに新幹線に乗って川越へ。
一度行ってみたかった帯津三敬病院へ行き、院長と対面した。
ガン難民にならないようにしよう。
ステージ4のガンだ。じたばたしたってはじまらない。
ここの院長に引導を渡されれば、それもよしとするか?


夕方、仕事を終わった次男と川越駅で合流。駅前繁華街を散策し、旨いビールを飲んだ。



【まじない?】
日本に昔から伝わる枇杷の葉温灸。
腹は自腹です。
お腹に当てているのは枇杷の葉。
その上から棒状のもぐさで熱くなるまで押さえつける。
これで体を芯から温めると成人病・慢性病に気持ちよく効くと言われている。
隣の畑に枇杷の木があるので葉っぱはいつでも調達できる。
そろそろ実が色づいてきた。実も食べたい。




【季節は巡る】
散歩コースのラベンダーが色づいてきた。
紫陽花もそろそろ見ごろだ。
春の桜、桜の後はツツジ・サツキ。
そしてラベンダー畑と、紫陽花の川べり。
川が汚れているのが寂しいがいい散歩コースだ。
強風・大雨でも長靴をはいて出かける。