再開した飛騨街道歩行

熱田の宮「七里の渡」から北陸富山城まで日本を横断する飛騨街道。これをなるべく旧道を利用して歩こうとして始めた飛騨街道歩き。高山を目前にして一昨年秋から中断していた。体は回復したんだろうか? 毎日1時間の散歩でも疲労を覚える。でも、高山までは歩きたいなぁ。たとえ一駅づつでも。
秋晴れが続く日々の一日、思い切って飛騨街道歩きを再開した。一駅でも歩ければいいじゃないかという思いで。



前夜、路の駅「加子母」で車中泊
ここは以前bianchiを積んで泊まったお気に入りの場所だ。
寝台車NOAHyyで足を伸ばし、白川のせせらぎを子守唄にして眠りにつく。
トイレの清潔さと明るさをかみさんもほめていた。
翌朝、掃除のおばさんに出会い、お礼を言った。


渚駅に着き、歩き出す。ところが腰椎の古傷が騒ぎ出したみたいで、3kgにもならないザックを背負っただけで足に痺れが来た。まずいことに腰椎サポーターも忘れてしまった。
荷物を余分に分けたかみさんのザックのほうがずっと重い。それでも調子が悪いので窮余の策、手をベルトの下に入れ腹を押さえながら歩くことにした。腹圧をあげ腰椎を楽にしようという作戦だ。
車からこの姿を見た人は、下痢をこらえて歩いている姿に見えたことだろう。昔、30kgを越すザックを背負って1週間も冬山に籠もったのが夢のようだ。


多くは国道41を歩くことになるが、旧道らしき脇道があればそちらを選んだ。
ずっと利用してきたガイドブックは著者の回顧の念があふれているみたいで、その通り歩こうと思うと崖の上やら、密生した樹木の中を行かねばならんことも多い。
旧道だと思って入った道が行き止まりになっていたなんてこともあった。
彼岸花に見送られて歩く静かな旧道は楽しい。


ダリアも笑顔で見送ってくれた。


道端にりんごも出迎えてくれた。






そんな癒しの道は少なく、多くは国道41を歩くことになる。歩道があればまだしも、こんな所もある。人は歩いてはいかんと言ってるみたいだ。車のことしか考えない道路行政の見本がここにある。



こんな危険なところは誰も歩かないので栗が一杯落ちている。
道端にしゃがみこんで栗を拾っていると、
大型トレーラーが背中をかすめて行った。


再び旧道へ戻るとモーさんが出迎えてくれ、


籾殻を燃やす風景に出会った。
煙突を立てるなんて頭がいい。
この中にサツマイモを放り込んでおくとホカホカの焼き芋ができる。
子供の頃、籾殻で芋を焼いてよく喰ったものだ。


路の駅「加子母」で買った朴葉寿司。
650円だったが、売り場のお兄さんが
「昨日の奴が残ってます。こちらのほうが味が沁みこんで美味しいですよ。半額にしときます」という。
土手の草むらに座って食った朴葉寿司。
味がよく沁みこんでいて旨かった。

渚から一駅、久々野駅に着いた。
寄り道回り道ムダ道をしているので3時間かかっている。
体調がよかったので次の駅飛騨一ノ宮まで歩くことにする。
2時間あるので大丈夫だろう。


途中にわか雨で雨宿りしたり、宮峠近くで今どこにいるか分からなくなり農家を2,3軒尋ねたが留守。時間がどんどん過ぎていく。
通りがかった車を止めやっと現在位置が分かった。
これは宮峠の石仏様。
飛騨一ノ宮駅はまだ遠い。余裕がない。予定の列車を逃すと2時間待ちだ。
国道41を車とともにわき目もふらずに歩く。
日本の原風景を思わせる山里に心惹かれ、シャッターを押したが、立ち止まって写す余裕がない。歩きながら写した写真はぶれがひどかったり、写ってなかったりだった。
余裕をもって歩きたかったが息せき切って歩くことになってしまった。
体への負担がふと脳裏を掠めるが、「ガンの長期生存者に共通することはよく歩くこと」と言った柳原和子さんの言葉を支えに、人工肛門をつけながらフルマラソンを走っているOさんの姿を思い浮かべて歩ききった。



飛騨一ノ宮駅に入る美濃太田行き。
滑り込みでセーフだった。
4両もつないでいるが1両に数人のお客。
シートに深く身を沈め、朴葉寿司の残りを平らげた。