畦道の風景


お千代保さんの奈良漬は我が家のお気に入り。
3月に月ヶ瀬で買ったやつも
梅時に、庭先で店を広げる川売のばあさんの店で買ったやつもいまいち。
そこでお千代保さんまで買いに行くことに。
車で行ったんじゃつまらんので、木曽三川公園から自転車で輪中地帯をのんびり走りながら行くことにした。

途中、畦道に腰をおろして、穂先をそろえた麦を見ながら
作ってきた特製のお握りを喰う。
穂先の向こうは養老の山。
ひばりが天高く忙しそうにさえずっている。
誰もいない静かな田園地帯。
ひばりの声しか聞こえない。


この花、畦道のあちこちで見かけた。なんていう名前だろう。図鑑で探す根気もなし。


タンポポの胞子が
子孫を残そうと風を待っていた。
水を張った田圃には小さな生き物が動いていた。
そこまでは写らないね。


おや?これはどうしたことだ? 今は緑萌える季節なのに。カーソンおばさんが胸を痛める風景にも出くわした。
往復33km。まっ平らな道だけど、疲れた。背中の奈良漬3ヶがやけに重く感じた。



これは庭のフリージア
手入れもせずにほったらかしだけど、
今年も花をつけた。

九州一泊の旅

あれからもうよんじゅうねん!!」。切れそうなもろい糸をなんとかつないで過したよんじゅうねん!!。もうじき結婚記念日だが、その日はかみさんが都合悪く、誕生日祝いということで九州を旅した。人気の観光地を串刺しにして1泊3食29800円。お得なプランだがそれなりに落とし穴もあった。


朝7:30に名古屋を出て3時間で小倉着。恐るべき速さだ。昔自分が出張で新幹線を使ったときは5時間近くかかった記憶がある。
今の新幹線は複葉機時代の飛行機より早いのだ。
リニア鉄道というこれより速い物を作ってどうするというんだろう?人口は減り、ビジネス規模は縮小し、おまけに大部分がトンネルという。その上恐るべき磁界に長時間晒され続ける。こんなものに乗る人がおるんだろうか? 採算が取れるはずがない。
結局つけは税金だ。
その頃オレはこの世にいないからどうなっても構わんが、次世代の子供はほんとにかわいそうだ。なんてことを考えているうちに最初の目的地。太宰府天満宮へ着いた。



天満宮本殿へ通じる太鼓橋。この橋を渡るときは後を振り向いちゃいけないそうだ。
・・・・かあちゃん、あぶない。
後振り向いちゃいかんて・・・・

次がJR久大線豊後森駅近くにある機関庫転車台跡。
取り壊しにあうところ町の人の熱意で整備して観光地にするという。
今は内部に入れないので、畦道伝いに外から眺めるだけ。

公園に整備されたらこの破れたガラスも修復されてしまうんだろうか。
このまま残したほうがいいと思うんだけど。


機関庫跡の周りは蓮華畑が続く。
ここでタイミングよく蓮華畑の向こうに、JRの列車が通りかかってくれれば最高なんだが。世の中、そんなにうまくことは運ばない。
大岩扇山と宝山を背景に蓮華のお花畑。

この日の最後は温泉地由布院
店が並ぶ狭い通りを寝不足の頭でボーッとしながら、大勢の観光客とともにそぞろ歩く。
時々建物の向こうから由布岳が顔を出す。
魅力的な山だ。
山を登る元気よ。
もう一度戻って来い。


登れないならこちらから近づいてやろう、と
望遠で引き寄せる。
6年前に購入したコンパクトデジカメだが、その機能は凄い。
しかも上着のポケットにしまいこんで使える便利さ。




この後、別府温泉へ行って待望の夕食だが、ここに落とし穴があった。
ケージに詰め込まれた鶏よろしく狭いところに押し込められ、
鶏の餌のようなわずかな夕食をついばむ味気なさ。
これでは夜、腹が減るだろうと近くのスーパーへ行っておやつを買い込む始末。
格安旅行の落とし前はここできっちりとつけられていた。


別府の夜は、部屋に閉じこもっていた。疲れて外へ出る気もしないし、ホテルの客はほとんどが韓国、中国からの人々。おまけに大浴場では自分が他人のタオルを間違えて使ってしまい、わけのわからない言葉でまくし立てられ、平謝り。

さて、2日目。最初は日本一の人道吊橋と銘打った「九重”夢”大吊橋」。これはがっかり。当たり前だが橋そのものに生活の匂いがない。観光客のための鋼鉄と極太のワイヤーロープで固められた橋だった。
十津川村谷瀬の吊橋はもう一度行きたいが、ここは二度と来たくない。おまけにこの日は黄砂がひどく、新緑の山肌もかすんでしまい、流れ落ちる長大な滝も黄砂の中にぼんやりと浮かんでいる有様だった。






次は、九州で人気観光地NO・1(と、バスガイドのお姉さんが言っていた)高千穂峡。1km弱に渡って続く瀞と廊下が見もの、だが、

貸しボートが渋滞するこんな風景も。
昔、滝と廊下を求めて谷を歩いた者にとって
寂しいというか、異次元の風景だ。
木曽山脈大田切川本谷で、滑川で
ずぶ濡れになって谷と一体になって過した記憶が、
蘇る。

九州の旅、最後は阿蘇山
黄砂にかすんだ山から噴煙が上がる。

そして草千里。
ここは初めてだけど、
なんとなく懐かしいなぁ。
五十数年前、菊池市に住むペンフレンドが草千里のことを書いてくれた。
それから半世紀を経て今、自分の目でこの草千里を確かめることができた。
長い年月を経て、風景も黄砂でかすんでいるのが、
なんとなく似つかわしい。

花、さまざま。

名古屋近郊の東谷山フルーツパクの枝垂桜が見ごろらしい。平日だから空いているだろうと思ったら大間違い。名古屋中の老人が集まっているんじゃないかと思うくらいの(かく言う自分もその一人)混雑だ。駐車もままならない。あっさり諦めて近くの定光寺へ向った。

定光寺駅近くへ車を止めて自転車で対岸の静かな道をポタる。
こちらは人影もなし。
満開は過ぎたが水面に映る桜はまだまだ美しい。

と、爽やかな風が吹きぬけた。
花吹雪が空を舞う。

駅横の桜。
ここにはかって千歳楼という料理旅館があった。40年前、夜となく昼となく千歳楼を見上げながら近くのゲレンデへ通った。夜は不夜城の如く輝く千歳楼の灯を見ながら、一度はここで旨いものを食いたいと思ったものだ。
バブル崩壊後千歳楼は廃業した。今はその廃墟が不気味な姿をさらしている。全国の観光地でよく見られる風景だ。
横に一本の桜の古木が花びらを散らしていた。その上を特急信濃が轟音をあげて通り過ぎた。




庄内川沿いに走って田園地帯へ。蓮華の花が満開だ。その風景を撮りきる自信がなく、クローズアップでごまかす。



その前日、浜名湖近くの龍譚寺(りょうたんじ)の境内。
ミツバツツジが満開だった。
光の具合がよろしくない。
写真は光によって決まるものだと、いまさらのように思う。

そして我が家の庭裏の片隅。
草むしりをしていたら黄色い花が満開。
名前も分からないがむしりとってしまうには惜しく、そのまま残した。

五条川の桜 in 2012


岩倉市から入鹿池まで、五条川の堤に沿って20km以上続く桜並木。
走れるか? 走りたい!
今日は走れそうだ、行こう!
また、あの桜並木に会えるのだ。
BD‐1を車に積んでハンドルを握る心も踊る。
いつものように名鉄大山寺駅近くの畦道に車を止めて走り出す。
いつものように名鉄電車の見送りを受けて出発。


五条川の桜はここから下流も続いているが、若い桜が多い。
ここから上流に向って始まる桜並木はお気に入りだ。
この辺り歩く人も少ない。


桜のトンネルを行く。
道路は桜の根っこに持ち上げられて凹凸が激しく走りにくい。


いつもの橋の上で、
いつもの風景を写す。

岩倉市の中心部に近づくと、人通りも増え、屋台も出始める。
ぼんぼりやちょうちんも賑やかだ。
自転車は押して歩くことが多くなる。

お祭り広場。
平日でこの人出だから、
日曜日は人並みに押されて、
五条川へこぼれた人もいたんじゃないか?

やがて人波も減り、安心して自転車を走らせる。
大口町扶桑町の花見ポイントで再び屋台が現れるが、
屋台は狭い範囲に集まり、岩倉のように堤防上に延々と屋台の列ができることはない。

川の中に小さな堰が現れ、

ザックを背に五条川を楽しむ人々を見て、
手製のお握りを喰う。


お握りと、甘夏のようなものを喰いながら、
眼前の花に語りかける。
「来年も必ず来るから
咲いて待っていておくれ」

ここは五条川と木津用水の合流点。
入鹿池まで行きたいが無理をしないで木津用水沿いに、
名鉄木津用水駅を目指す。

丹羽高校横の桜。
下校時間らしい。
自転車置き場に集まる、若い華やいだ声を聞きながら木津用水駅へ。
輪行大山寺駅へ戻った。
走行距離18km。

もう、いいじゃありませんか?

最近知人からメールをいただいた。私のブログが長い間更新されないので心配されたらしく”お変わりありませんか?”とのことだった。ご心配をおかけしたようだ。しょうもないこと書いてもしょうもないなぁ、と思いつつ、私にブログを書く気力がまだ残っていることを知っていただくだけでもいいか、と思い久しぶりにhatena-diaryを開くことにした。
最近或る人からこんなことを聞いた。身内が肺がんになったので免疫学の世界的権威であるN大学のA教授をはるばる尋ねて相談に行った。その教授曰く「患者さんはおいくつですか? 70歳? そうですか、ならもういいじゃありませんか」・・・・・・ そうかぁ、70歳になればもういいんだ。
おいらも来年は70歳になる。昔風に言うと古希を迎えたことになる。古希を岩波国語辞典で引いてみた。”数え年の70歳の称。杜甫の詩中の句「人生七十古来稀なり」から”とあった。A教授も杜甫の詩が頭にあったのかもしれない。

DNAの配列は楽譜の並びのようなもの
今朝NHKラジオで分子生物学福岡伸一氏が話していた。以前から気になっていた人なので何気なく聞いていたら思わず引き込まれてしまった。故意に欠損させた遺伝子を組み込んだマウスが、何の欠陥も生ぜず、ガンにもならず、順調に成長し繁殖し、生まれた子供も正常であるという。
福岡先生はDNAの並びを楽譜にたとえられた。同じ楽譜でも演奏によっては別の音楽に聞こえることがある。命が音楽であるとすればゲノムがすべて解読されても命が分かったことにはならないだろう。
”ゲノムを解読すれば人間の全てが理解できる。やがて全ての病気も直すことができる。”この発想にはとてつもない落とし穴があるような気がする。それは利益のために企業化され、やがて軍事力化され、統治のための道具になるだろう。原子力の平和利用と同じ徹を踏むような気がする。原発の爆発のために、この国は「山河破れて国在り」の惨状を呈しているが、生命科学の暴発はこんなことでは収まらないだろう。京都の大学で研究されている医学者が純粋に学問の研究に励まれても、それがどう利用されるかは彼らの範疇にない。最首悟氏の問題提起はここでも的を得る。問学、問われているのは学問だ。古希を迎えた末期肺がん患者は深く頷いた。
さて、

うなぎが食えなくなるらしい

シラスが激減しているという。うなぎ料理は時価になる日が近いという。
人間様が乱獲してしまったのだ。
そんな話を聞いてあわてて?浜名湖舘山寺の浜乃木屋へひつまぶしを喰いに行った。
この料理1年前は2600円だった。
この日は2900円。
一万円出しても喰えない日が来るかもしれない。
今のうちだも、う一度喰いに行こう。



知多でお造りを食った
家の小リフォームが終わったので、
慰労会をかねてかみさんと知多へ旨いものを喰いに行った。
だが、期待はしてなかったが、やはり
鯛の刺身はふにゃふにゃだった。
海釣りが好きな知人からいただいた取りたての鯛の刺身を喰ったのは20年以上前のことになるが、あの旨さを知らなかったらこの御作りだって旨いと思って喰ったろうに。
何事によらず、知らないほうが幸せ、ということもある。


技術(技能)は進化する
4040の月ヶ瀬OFFでは梅に早かったので頃合を見てもう一度出かけた。
咲いているのに花に華やかさがない。土産物屋の婆さんが言っていた。
「いつもより一ヶ月近く遅いよ。ここへ嫁にきて50年になるけどこんなこと初めてだ。花の付き具合も半分ぐらい。これじゃ梅の収穫が心配だ」
腹が減ったので茶屋に上がり、天ぷら蕎麦を注文した。この天麩羅前方1/3は衣だけだった。胴回りも入念に衣がつけてあり実質90%は小麦粉と水だった。お客にとっては進化して欲しくない技術の部門だ。


至福の味、鳴門金時
手の込んだ料理も旨いが、至福の味となればこれだ。
ところがこの至福の味も2個目になると感じ方が違う。
”もういいよ”という感じだ。
人間の体って旨くできている。どんな豪華な料理だって、旨い食べ物だって続けて食うと身体に拒否反応が出てくる。
朝食は味噌汁にご飯(白米ではない)、それに丸ごと喰える小魚と漬物。
我々の祖先は長年にわたってそんな食事をしてきた。体もそのようにできてきた。したがって遺伝子もそういうものを喜ぶ。
恐竜の絶滅が巨大化しすぎた肉体が環境に適応できなかったことにあるとしたら(多くの種は環境の変化についていけず絶滅した)、進化を続ける人間の脳こそ恐竜の肉体に相当するものではないか。
そして、全ての生き物は他の生き物に食われるか、死んで土に還り地の養分となっている。人間だけが火葬し灰と骨を後生大事に抱えている(土葬の国もあるだろうが)。DNAは全ての生物と共通らしい。違うのは配列だけだ。そんな傲慢が人間に許されるだろうか?
福岡先生の話を聞きながらステージ4のガンを抱える私は、もう血の巡りが悪くなった脳でしばらく考え込んだ。

お礼参り

名古屋のガン拠点病院の担当医に言い渡された余命期間を過ぎて生きている。頻尿で夜よく眠られず頭がボーッとしている日以外は元気に暮らしている。ありがたいことだ。毎日の散歩だって気持ちよくしている。この上まだ自転車で走ろうとしているから欲張りなものだ。
現代西洋医学から見放されてからしばらく何もせずにいたが、そんな人たちが頼って行く病院が埼玉にあると知ったのは去年の5月だったか。その川越の病院へたまに入院、たまに通院しているが西洋医学的な治療は何もしないし何もできない。「患者」仲間と太極拳やら気功やらやって、帯津先生とスキンシップしてくるだけ。
今思うと名古屋医療センターではいい医者に巡り会えたと思う。手術のために開腹(自分の場合は開胸)しても結局目的の手術ができないことを”ムダ切り”ということを知った。「加藤さん、ムダ切りはしたくないからよく検査しましょう」ということで、いろんな検査をした。結果的にはムダ切りになってしまい酷い目にはあった。しかし胸を開けた執刀医は切除せずに肺を残してくれた。その医者は「全部切除してしまうDr・もいますけど私はやりません。がんが治癒するわけでもないしQOLが落ちます」と言った。
病院の経営上手術のノルマもあるという話も聞いているのに、肺をそのまま残してくれたことは今思うとありがたい。あやうく酸素ボンベを背負い、ガンの再発に怯える日々を送るとこだったのだ。ただ当時は手術も抗がん剤も当たり前の治療として受け入れていたので、手術ができなかったということへの落胆は言葉に表せない。もう後は死を待つだけじゃないか、と。そして担当医から「1年半」が言い渡された。
抗がん剤治療についても正直に話してくれた。臨床試験薬で強い薬だったが「効く確率は20〜30%」だそうだった。医学の世界では20%効くだけで(80%の人に効かなくても)”この抗がん剤は効く”という表現をするようだ。一時的にがん細胞が縮減する場合があるが、やがて元に戻って来る場合が多いという。そしてその後は果てしなく(死まで)抗がん剤地獄が続くことになる。中村医師の言葉を借りれば「拷問のような苦しみを味わった挙句、やっと息を引き取る」ことになる。私はその苦しさの一端を一昨年の秋に味わった。
1年半の命が抗がん剤の投与で3年に延びたとしよう。ところで、抗がん剤治療を続けて生きたその3年間はいったい何なんだろう。早い話がこれは、

昨日の昼、自分で作った醤油ラーメン。
作った、といっても麺はゆがくだけだし、つゆも湯で薄めるだけ。
今見ても口の中にじわ〜っと唾が湧き出してくる旨いラーメン。
これが抗がん剤が服用中は見るだけで吐き気がするのだ。
吐き気をするものを無理やり喰ったって、DNAはそれを栄養分として体内に取り込んでくれるだろうか?
医食同源という言葉もある。喜んで喰ってこその”食事の喜び”だ。無理やり喰ったら食べ物に失礼だろう。
毎日かみさんが作る夕食の旨いこと。「旨いなぁ〜」「旨いっ!」と言って喰えることの幸せ、よ。
そこで、西洋医学から「もうないと言われた時間」を生きていることへのお礼として、力になってくれたスピリチュアルなものにお礼参りをしようと思った。
1月下旬、夫婦岩

日没寸前に夫婦岩へ。
北風吹きまくり、
寒ッ!
一昨年の秋、4回目の抗がん剤を受ける前にここへ来た時、輪注連縄というものがあることを知った。
そこで、200円払い左肺によく当ててお願いをした。「輪注連縄様お願いします」
この日、夫婦岩遥拝処に輪注連縄が置いてあったので、早速200円払い御礼をする。
「ありがとうございました」



ところがその奥に本殿がありここにも輪注連縄が置いてある。
一昨年はここでお願いしたことを思い出した。
つい先ほどお賽銭を入れてお礼したばかりなのに・・・・・
一瞬、またお賽銭を入れることを躊躇した自分が恥ずかしい。
もう一度200円を賽銭箱に入れる。
「輪注連縄様ありがとうございます」



その翌日龍仙山の観音様へ

翌日、海からの眺めを楽しむべく南勢町の龍仙山(402m)に登った。
この山は海辺の船越集落から蜜柑畑の中を登るのが楽しいが、
今日も中腹まで車。
山頂までのんびり歩いて40分ほど。
期待にたがわぬ眺め。
五ヶ所湾の向こうに志摩半島
その向こうは太平洋だ。

山頂に小さな石室があり、
観音様(と思ったが)が安置されている。
一昨年1月に登った時、がんはまだ見つかってなかったので
がん治癒のお願いはしてないが、
「家内安全」「無病息災」のようなお願いはしたはずだ。
お賽銭をちょっと奮発して手を合わせる。
「お医者様に言われて時間以上に生きています、
ありがとうございました」





2月、知多半島お亀さんへ
いつもほ甲羅に賽銭が一杯載っているのに、今日はきれいだ。回収されたのだろう。


右の鼻の穴に5円玉を。
これからもご縁がありますように。


左が今まで身につけていた御石。
右がこの日いただいてきた御石。

お亀さんへお礼参りの後、
まるは食堂で定番のえびふりゃぁを喰う。
ここの刺身はいつも新鮮だ。
輪注連縄様、お亀様
今日も身体が”旨い”と言っとります。
ありがとうございます。
エビフリャァに舌鼓をうった後、羽豆岬へ。
岬全体が小さな丘になっており、
ほぼ全山が南方種ウバメガシに覆われている。
遠くに三島由紀夫の小説の舞台、「潮騒」の神島が霞んでいる。
何回も何回も深呼吸して先端の羽豆神社へ向った。

思いつき訪問

1月18日、気温は低いが風がなく、陽だまりにおれば暖かい日和だ。こんな日は縁側でうたた寝するのがわが身にとっては一番かもしれん。しかし、寝覚めもよいので無性に走りたかった。「こぐこぐ自転車」の伊藤翁の影響かもしれん。知多半島へ出掛かるには遅すぎたので、近場の木曽川近辺を走りに出かけた。

弥富の野鳥公園からスタート。
ここは子供が小さい頃何回か来たが、今はすぐ上を伊勢湾岸道が走り、その下の産業道路をダンプやタンクローリーやトレーラーが走り回っている。
野鳥にとって迷惑な話だ。
周りは工場群で囲まれてしまったし。環境アセスメントはちゃんとやったのか?
来園者はなく駐車場には、おさぼり中らしいサラリーマンが何人か脚を投げ出して寝ていた。


河口付近の木曽川堤防。
車も少なく走りやすい。
ただ逆走はしたくない。崖のふちを走っているようで落ち着かないからだ。
遠くにぼんやりと写っているのが長島スパーランド
目を凝らすとジェットコースターの骨組みが見えるはずだが、ちょっと無理なようだ。
西の方角には雪を被っているらしい鈴鹿の山がぼんやりと見えた。
間近の養老山地さえかすんでいる。
今日は見晴らしが悪い。
このまま進んで国道1号近くの前ヶ須新田に出た。前ヶ須新田で友人が塾をやってるはずだから訪ねてみようと、突然思い立った。記憶を辿って古い町並みを行くと、あった、「山田塾」の看板。ベルを鳴らすと奥さんが出てきて「今日は塾仲間が集まって勉強会に行っている」とか。「もうすぐ帰りますから」という言葉に木曽川を眺めて弁当を喰いながら待つことにした。


今日は昼飯用に家で特製のお握りを作ったのだが出掛けに忘れてしまった。
しかたなくコンビニで弁当を買って喰っていると友人がやってきた。
小子化で塾の経営も大変そうだ。
家でコーヒーでも誘われたが、暖房のある部屋へ入ってしまうと出づらくなるのでここでお別れ。
帰りのペダルをこぎながら思った。友人はオイラが癌でお別れに来たと思ったかもしれない。
でも、ずいぶんやせていた友人のほうが気がかりだ。
油と訳のわからん調味料がごちゃ混ぜのコンビニ弁当を胃袋が拒否したらしい。
げっぷを出しながらペダルをこいで、約30kmの初乗りは終わった。